慶応の学生幹部諸君
(本文)
1.先週の朝日新聞土曜日版Be「やっぱりフジマキに聞け」で円安の必要性を書きました。為替の一番基本的なことを書いたつもりです。
お読みいただければ幸いです。
2.先週火曜日発売の週刊朝日のインタビューに答えましたが、こんなに財政赤字で潰れそうな国の通貨が強いわけがありません。このまま行けば円は大きくクラッシュします。それを避けるためには能動的にかつ早急に経済実態まで弱める必要があります。
3.またまた補正予算が大きくなりそうですが、補正が大きくなればなるほど
「景気回復の期待感」のプラス要因よりも「財政破たんの危機感」のマイナス要因のほうがより大きくなり、危険だと思います。
(フジマキな日々)
1.先週の朝日新聞土曜日版Be「やっぱりフジマキに聞け」は
http://www.asahi.com/business/topics/fujimaki/
でご覧になれます。
2.フジマキ健史の一週間
11月30日(月)
夜、慶応大の三田校舎にて幸夫とともに学生相手に講演。最初に私が話して
後半は幸夫が話した。先発のほうがリリーフより格上だから私が先なのか
トリは後で前座が最初だから私が最初なのか?どちらかはよく分からない。
しかし、幸夫はよく話す。感心した、かなり笑いを取っていた。講演後、幸夫から「僕が高いのは血圧だけだけどお兄ちゃんは上から目線だ」とまた怒られた。何言ってるんだか?幸夫の腰が低いのは足が短いせいだからである。
(慶応大学の学生諸君・就職戦線は厳しそうなのに明るくて良い)
終わった後,幸夫は仕事があるのでオフィスに戻ったが、私は我が社社員で慶応50年卒でもある武藤君を含めた飲み屋で学生幹事諸君4人と懇親会をした。と、言っても私は自分で車を運転して行ったのでウーロン茶3杯で参加。酒を飲まないで参加する飲み会は流石悔しい。
話を聞いていると、今年の就職戦線はかなり厳しそう。円安にして景気を回復させることが急務。
(私の書斎前の紅葉の紅葉
モノ書きに疲れている時、見ていると癒される)
12月2日(水)
昼、経済同友会で講演。「非常に論理的だ。 感心した」「生まれて初めて論理的な講演を聞いた」などと社長さんや会長さんから最上級のおほめのお言葉をいただき、とてもうれしかった。気合いが入っていたので、断りを入れてから、いつもの2倍の速さでしゃべった。と言うことは普通の講演者の4倍くらいのスピードでしゃべったわけである。テープの早送り状況だ。
帰りに何人かの社長・会長の方から「君、今言っていることを実現するために政治家になりなさいよ、僕たち応援するから」と言われた。
別に政治家に興味があるわけではないが、褒められたことがうれししかったので家内に言ったら「あ、そう、それじゃ離婚ね」
どうも政治家という職業はあまり評判がよろしく無いようだ。日本の政治も困ったものだ。
午後 幻冬舎の月刊誌「ゲーテ」に依頼されて愛犬クーの写真を撮る。
その写真に「もし一言だけ言葉が通じるとしたら、何と話しかけますか?」
の一言を書くのが私の仕事。なお、写真はクーが「円86円台」というトップ記事の新聞を咥えているところを撮った。どういうコメントにしたかは乞ご期待。といっても「ひねりすぎだ」と言うのが我が家の反応。しょうがないでしょ、私の性格が、ひねくれているんだから。
なお火曜日に発売された週刊朝日で述べた「ドル安は突っ込みすぎだ」との私のコメント、本日現在では当たっていて、自己満足。
12月3日(木)
午前中は、一所懸命、次に出す本を書いて、夜、最終便で高松へ飛んだ。
クーが足を引きずり全く元気がなかったので後ろ髪をひかれる思いで出かけた。
長男ケンタからも会社の昼休み時にクーの状況チェック・メールが来た。私が病気でも心配してメールを打ってくることなどないのに。
(上2枚は溜まったANAホテルの窓から。今回は格安の部屋に泊まったので海が目前に見えなかったのは残念。海側の部屋だと海に映える夕焼けをいつまでも楽しむことが出来る。まさに瀬戸の夕焼け。何度見ても胸がキュンとなる。)
12月4日(金)
高松から琴電で1時間かけ琴平へ。金刀比羅様がある町だ。毎年金毘羅歌舞伎の券を取ってくださる方がいて琴平には毎年お邪魔している。いつもはレンタカーで移動するので一度は乗ってみたかった琴電を今回は使ったわけだ。
暖かい日でぽかぽかする車内。単線でのんびりした風景の中1時間かけて琴平着。仕事の雰囲気ではなくなる。
(琴電の終点の琴平駅)
午後1時半より某外資系会社グループの幹部20数人の前で講演。
6,7人ほど米国人が混じっていたので通訳が何人もついた本格的な会だった。
しかし外国人がメンバーに入っていると聞いていなかったので講演内容で少し戸惑った。外国人が興味あった内容だったか心配である。また通訳の方の英語が漏れ聞こえてきたので聞きながらスピード調整をしていたので、普段の半分のスピードでしゃべった。したがって時間の関係で言いたいことの半分もしゃべれなかった。しかし通訳の方は突然しゃべった金融の専門用語もきちんと訳されていて、実にお上手だった。
日本法人の社長は米国人で日本に赴任3年とのことだったが、私が出たビジネス・スクール(ケロッグ)卒で、学んだ時期がだぶっていたことが判明。
私は1978年から80年。彼は79年から81年。講演の前に2人でビジネススクール時代の話をして盛りあがった。
ちなみに学校名がケロッグ・スクールと聞いてテニス仲間は「水戸納豆学校」と言うようなものね、と言うが、ケロッグ社が多額の寄付をしたから「ケッログ」の名前を冠しているだけで、「コーンフレーク」の作り方を勉強したわけではないのであしからず。
3.12月4日発売の「就職ジャーナル「金融ビジネス読本」でインタビューを受けています。
