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フジマキな日々(加賀山代温泉)

2010年1月14日 (木)

         20100112無可有(7).JPG       (本文)

1.鳩山政権には、再度がっかりさせられた。菅財務相が17日に「円、90円台半ばが適切。もう少し円安の方向に進めばいいと思っている」というすばらしいコメントをしたのにかかわらず、翌日には首相が「政府としては基本的に、為替に関しては少なくとも言及すべきではない、と私はそう思っている」と非難してしまったからだ。

確かに私自身は「$/\の適正レベルは170円とか180円だ」と思っており「菅財務相も、適切な円のレベルに関しての認識は、まだ甘い」とは思うのだが、政治家は、菅財務相のように、きちんと円安誘導発言をすべきである。

景気対策には財政政策、金融政策、為替政策があるのに日本では為替政策がすっぽり、抜け落ちている。政治家が為替を理解していないからだ。日本経済にとって、最も安上がりで強力な景気政策を、「よく理解できないから話せない」と言うのはまずい。

為替を理解していない人が日本経済を引っ張るのは「心臓病患者の主治医に私がなる」ようなものだ。これでは患者は救われない。

他国では、政治家ではないが、昨年の夏、英国中央銀行総裁キング氏が「今はポンド安がいい」が明言している。欧州中央銀行のトリシェ総裁も「世界経済にとって強いドルは非常に重要だ」、すなわち「自国通貨はもっと安いほうがいい」と述べているのだ。

Sept. 28 (Bloomberg) -- European Central Bank President Jean-Claude Trichet said a strong dollar is “extremely important” for the world economy and it’s too early for the ECB to unwind emergency stimulus measures.

“In the present situation it is extremely important that we can have in the framework at the level of global finance and the global economy a strong dollar, as the authorities in the U.S. are saying,” Trichet told lawmakers in Brussels today. “The solidity of the dollar is very important.”

この数カ月の為替の動きと株価の動きを比べてみれば、いかに円安が株価に影響を与えひいては日本経済に影響を与えるかが明白である。藤井元蔵相の円高容認発言で84円台まで上昇した円のせいで株価は¥9000近くまでさがり、円高が止まり反転してからは¥11,000近くまで回復しているのだ

2.来年度予算では、霞が関埋蔵金を、一生懸命掘りだして、とりあえずは44兆円の赤字幅に抑え込んだ。といっても補正を組む前からこの数字はとんでもない巨額だ。

霞が関埋蔵金は1回限りのものだから、このままでは再来年度予算が組めないであろう。

また霞が関埋蔵金は、多くが国債で保有されているのではないか?もしそうだとすると霞が関埋蔵金を持っている基金の国庫金返済時には大量の国債売却が発生しうる。

いずれにしても長期金利の急騰は避けられない、と思っている。

 

3.JAL の再建案が出ているがマイレージは保護されるとのこと。私も多くのマイレージを持っているが、(私にとっても大損害ではあるが)日本の将来を考えると過去のマイレージは無効にすべきだと思う。国民の目が「自分のマイレージは無事か?」にしか目が向いておらず、ナショナル・フラッグの倒産劇を矮小化してとらえてしまっているからだ。

日本国には、もうすでに金がない。国民がそれを理解し、政治に何を要求すべきか、日本国は今、何をすべきかを真剣に考えるいいショック療法の機会とすべきである。

 

(フジマキな日々)

1.先週の朝日新聞土曜日版BE「やっぱりフジマキに聞け」は

http://www.asahi.com/business/topics/fujimaki/

でご覧になれます。

2.藤巻健史の1週間

14日(月)

高校の担任であった村上先生が昨年の秋に亡くなられていたという情報がモリ君よりもたらされた。高校のクラス会では何度も「お呼びしたい」という話になりながら、「体調がーー」ということでお呼び出来なかったことが、まことに残念だ。私がユーモア好きになったのは、父と村上先生の影響が大きかったと思っている。

以下、私の処女作「外資の常識」(日経ビジネス人文庫)より

「初老のゴム天(注 後村上天皇から取った村上先生のあだ名)は、その名のごとく、恰幅のいい小柄な体躯にいささか尊大な雰囲気を漂わせていた名物教師であった。 

ある日、ゴム店の現代国語の授業の時だ。ゴム天が来る前に全員が机を反対向きにし、黒板を背にしているという「いたずら」を、みんなで仕掛けた。ところが彼は教室に入ってきても、まったく動揺した気配を見せず、1時間、なにごともなかったかのように、我々の背中を見ながら淡々と授業を進めた。そして終業のベルがなると、いつものように職員室へ戻っていった。ゴム天の背中が「お前ら、まだまだだな」と言っていた。(略)

私は高校1年のとき、石打のスキー上で足の骨を折った。友人の一人は私に“バタープリッツ”というあだ名を付けた。なるほどうまいことを言うな、と思わず感心した。(略)担任のゴム天はというと、松葉杖をついて登校した私に何の詳しい説明を求めなかった。その代わり、本来なら数カ月先に学習するはずの教科書の単元「石打の雪」を繰り上げて突然授業で取り上げ始めた。そして、あろうことか毎授業の最初に彼は「く、く、く」と笑いをかみ殺すようにして、私に「石打の雪」の音読をさせ、満足そうに、うなづくのだった。」

素晴らしい先生だった。

村上先生のご冥福をお祈りいたします。

112日(火)

8時半の便で小松へ飛ぶ。空港でレンタカーを借りて金沢市の近江市場へ。20100112近江市場(2).JPG

20100112近江市場.JPG夕食に蟹1匹頼んであったので、魚介類は買わなかったのだが、あまりにも酒のつまみになりそうなお漬物があったので、買ったのが大失敗。その後、何重にくるんであっても,においが外に漏れ出し、レンタカーの中、旅館と苦戦を強いられる。

金沢では、本当は「雪の兼六園」を見たかったのだが、土砂降りの雨だったので、やめて山代の町で、何軒か九谷焼きの店をのぞいた後、3時には加賀の山城温泉・べにや無可有へ。今回は全くのoffの旅行。家内と昨年末、オフィスで「1月の温泉旅行は、どこにいこうか?」と話していた時、ちょうど弟が部屋に入ってきて「べにや無可有に1度、行ってみてくれ」と言い、我々の回答を聞く前に、その場で女将さんに電話を入れた。それで決ったべにや無可有行きである。

特別室を用意してくださった。べにや無可有の女将さんは、幸夫のシャツの店「CRUM」開店時にも、お祝いに駆けつけてくれていて、私も面識はあった。

到着したら、ご主人と女将が歓待をしてくれた。館内を案内してくださった後、ご主人から庭にある茶室でお茶をごちそうになった。ほの暗くなった茶室の中に雨だれの音が響いて、幽玄の世界に誘う。

今回は生まれて2度目のお茶の席だったが、やはり素晴らしい日本文化だと再認識した。1回目は根津美術館の茶室で根津さんからご招待を受けた時。あのときは、根津美術館所蔵の重要文化財「銘柴田」で、いただいたのであるが、

http://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/detail.php?id=40218

お茶の作法には全く無知で無粋な私でも、「織田信長が戦功の褒美に領地の代わりに茶器を柴田勝家に与えた」という話くらいは知っていた。その茶器だと聞いて、ものすごく緊張したのを覚えている。しかも、あの時は花粉症真っ盛りで、鼻水が止まらず、ティシュから手が離せなかったのだ。回し飲みの濃い茶をいただくとき、鼻水がお茶の中に流れ込んだら、私の次に飲む宮沢君は、とんでもなく嫌だろうな、と思ったからだ。まさに、らい病を患っていた大谷行部の次にお茶を飲んだ石田光成の心境になったのかもしれない。ちなみに、ご存じの通り、大谷行部は、平然とお茶を飲みほした石田光成に感激して、その後、西軍に加わった。

私は、幸い、その時、鼻水をお茶の中に垂らさず、宮沢君を石田光成の立場に追いやらなかったが、そうでなくても、宮沢君をサポートする気持ちに変わりはない。宮沢君は、自民党に対する逆風で、今回残念ながら衆議院選挙で落選したが、なさけない民主党の経済政策をみるにつけ、宮沢君のような経済通が日本には必要だと、つくずく思う。何度か書いたが宮沢君とは小学校・中学と9年間クラスメート。高校ではクラスが違い、私が6組、彼は4組だった。これを書いていて思いだしたが、そういえば総務省の次期・事務次官に内定した(数日前に日経新聞1面に出ていた)岡本保君も宮沢君と同じ4組だった。彼は確か中学ではテニス部だったと思う。(私は高校でテニス部)そして宮沢君のお父様の宮沢弘氏(後に広島県知事、法務大臣・宮沢喜一氏の実弟)も、消防庁長官、総務省事務次官と岡本君と同じコースをたどっていたのは奇遇か?20100112無可有(5).JPG

20100112無可有(4).JPG20100112無可有(3).JPG20100112無可有(2).JPG20100112無可有.JPG113日(水)

天気予報では暴風雪だったので帰りの飛行機が飛ぶか心配したが、飛ぶことが判明して、小松空港へ。帰りに、ひょっと見かけた飛行機専門博物館の航空プラザによる。空港の町ならではの施設である。

小松空港は、自衛隊と併用していて、自衛隊のジェット機がたえず待機しているが、頼もしい。

以前、何回か人事院主催の研修をさせていただいたことがある。いろいろな省庁の課長補佐級か係長級が一堂に会しての研修であるが、数人の航空自衛隊のパイロットの方々が参加していた回がある。彼らはピシッと背筋を伸ばしたままの姿勢で受講し、また質問時も直立不動の姿勢であり、ひときわ真面目な態度が目立った。日本の若者も「まだ捨てたものじゃないな」と思ったものだ。飛行機の窓越しに見える自衛隊のパイロットたちを見ながら、そんなことを思いだした。

帰宅してから、クーを預かってくださっている坂場さんのご自宅にクーを引き取りに行く。坂場さん宅はクーの実家なので、安心して預けられる。まさに坂場さんのおかげで旅に出られる。感謝!

 

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