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本文&フジマキな日々(壱岐旅行)

2010年3月26日 (金)

                                                 F1000619クー駒沢公園.JPG   (本文)

1.2010年度予算が成立した。家計でも「収入が減れば支出を減らす」のに「収入が減っているのに支出を増やした」とんでもない予算である。

累積赤字がここまで溜まってしまったのだから、円とともに轟沈を避けるためには米国を中心とした分散投資が必要であろう。これこそ最低限の保険である。

先週の朝日新聞土曜日版Be「やっぱりフジマキに聞け」に書いたとおりである。(フジマキな日々 1 をご参照)米株や短期米国債券、$預金、$マネーマーケットファンドの購入を考えた方がいい。トリプル安で大幅円安が起きれば、これらの資産を保有していれば多少なりとも救われる。

 

2.郵政の民営化逆流問題も、とんでもない話だ。その問題点に関しての原稿は「日経ビジネス」にすでに送ってある。近々、載ると思います。載った時にはまたご連絡いたします。

 

3今ギリシャの不良債権が世界で大騒ぎされているが、それは「ギリシャがこける」とドイツの銀行等ギリシャ国債を大量保有している国々が損害を受けるからである。だから事前に助けようとする。日本国債がデフォルトしても日本国民以外誰も、直接的ダメージを受けない。すべての損は日本国民が被るのだ。したがって世界では騒がれないが、何か起きそうでも助けてもくれない。

 

4私は日本には悲観的だが、世界経済とくに米国経済には楽観的だ。だからこそ消極的な意味だけではなく積極的な意味でも$を中心とした海外投資をお勧めしている。

「中国への投資をすべきか否か」は別として中国経済もしばらく(多少の綾はあっても)強いと思っている。

以下、世界的に権威のある雑誌International Economyに寄稿を依頼されて、書いた私の文章である。世界銀行のzoellick総裁やドイツ銀行Weber頭取その他の方々とともに設問への回答を載せてもらった。「中国は世界の成長エンジンになりうるか?」という設問である。

私の文章と邦訳は以下の通り。なぜ私が「今こそ円安が必要だ」と主張している理由もお分かりいただけると思う。

Using its weak currency, China will dominate the world.

 

TAKESHI FUJIMAKI

President, Fujimaki Japan

 

              China will overtake Japan and become the world’s second largest economy in terms of GDP this year. It has been treading a very similar path to that of Japan forty years ago. In this sense, China is likely to enter the same economic boom that Japan experienced around 1979, when Harvard Professor Ezra Feivel Vogel wrote Japan as Number One. It will become a global engine for growth for a certain period of time.

Until the Nixon Shock of 1971, Japan enjoyed the benefits of a weak yen at the fixed exchange rate of 360 yen to the U.S. dollar. Thus armed, Japan increased exports, and its economy took a leap forward. The generated wealth brought affluence to the Japanese people and increased domestic consumption. It was the dawn of an age of high economic growth, blessed with loads of mega projects.

              Although the Nixon shock caused a shift to the floating exchange rate system, the yen was still as low as 240 yen to the dollar even in 1979 when Japan as Number One was authored. Thus, Japan continued to enjoy the benefits of its weak domestic currency. The rate of 240 yen to the dollar, compared to the current exchange rate of 90 yen, shows how weak the Japanese currency was at that time.

              In those days, Japan was often criticized by the international community for its huge trade surplus which, except for the Plaza Accord in 1985, Japan did not take active measures to reduce. The yen did keep on rising, but it was still weak compared to the real economy. As a result, the Japanese economy continued to thrive and eventually entered the bubble economy phase (1985-1990). The yen’s appreciation continued during the bubble period, reflecting the booming economy. But even at the peak of the bubble at the end of 1989, a dollar was still worth 143 yen.

              On the other hand, China has experienced a sharp decline in the renminbi since 1980. Let me quote the rate against the yen, since dollar- renminbi data are not available. In 1980, 160 yen was required to buy a renminbi. Now it can be purchased for less than 14 yen. Similarly, Chinese labor is now more than twelve times cheaper than in 1980. China has kept its renminbi at a low level by pegging in to the U.S. dollar since 1994. Considering all this, it made sense that the factory of the world” moved from Japan to China, enabling the Chinese economy to prosper with the accumulation of wealth from exports.

              Incidentally, a country may revalue its domestic currency for two reasons: first, an intensifying pressure from abroad due to a huge accumulated trade surplus; and second, the benefits a revaluation will provide to the country. The greatest benefits would be to prevent inflation caused by full employment.

              But with an enormous population of 1.3 billion, China will not come close to  accomplishing full employment soon. So, it will not need a strong domestic currency, a panacea for inflation caused by full employment, in the foreseeable future. China will maintain its weak domestic currency no matter how much external pressure it may receive. Besides, Chinese leaders seem to fully understand the benefits of a weak currency. Because of that, I believe China will use the weak renminbi to its advantage, and that the Chinese economy will dominate the world for years to come.

              In this sense, Chinese leaders are different from their Japanese counterparts, who did not realize the importance of monetary policy. China is also different in that Japan Japan accomplished full employment and started to see benefits of a strong domestic currency at an early stage.

              But in the longer run, the renminbi will follow the path of the yen – it will become too strong compared to the real economy and lose its global competitiveness. China will then hand over its status of “a factory of the world” to emerging economies. After all, history repeats itself.

 

(邦訳)

 中国は今年、日本を抜き世界第2位のGDP 大国になるが、その歩みは,まさに日本と似ている。日本がたどってきた道を30年から40年遅れで、追いかけていると考える。

その意味で、中国は,1979年にハーバード大学のEzra Feivel Vogel教授が「Japan as No1」を書いた頃の日本と同様の経済繁栄期を迎え、一定の期間、世界のengine for growth となると考える。

日本は1971年のニクソンショックまで1㌦=360円という固定相場で安い円のメリットを享受した。安い円を武器に日本は輸出を伸ばし経済が躍進した。その富で国民が豊かになり国内諸費も増え、巨大プロジェクトが目白押しの高度経済成長を迎えたわけである。

ニクソンショックにより、変動相場制に変わったとはいえ、「Japan as No1」が書かれた日本経済の黄金期である1979年末でも240円という円安であり、「安い自国通貨」のメリットを十分享受し続けた。ちなみに1㌦=240円とは、現在の1㌦=90円に比べてみれば、いかに円が安かったかがわかであろう。

この当時、日本は、しばしば巨額な貿易黒字を世界から非難されたが、1975年のプラザ合意を除き、積極的には円高誘導による貿易黒字の縮小には動かなかった。たしかに円高は進んではいたが、実体経済に比べると円は割安に放置されていたのである。それが故に日本経済は、繁栄を続け、狂乱経済と言われるバブル経済期(1985-1990)を迎えたのだ。ちなみに、バブル期は好景気を反映して円は上昇を続けたがバブルのピークである198912月末でも1㌦は143円である。

一方の中国は1980年以降、急速な人民元安が進んだ。対ドルでの資料が見当たらないので対円で述べれば、1980年に1人民元を買うのに160円したものが今では、14円弱で買える。中国人の人件費が1980年に比べて現在は12分の1以下に下落したのと同じである。

中国は1994年以降、人民元をドルにペッグさせ人民元を安いままに保持している。

以上を考えると、世界の工場が、日本から中国に移り、輸出に伴う富の蓄積で中国経済が繁栄するのは道理である。

ところで、ある国が自国通貨の切り上げを行うには2つの理由が必要だ。一つは、貿易黒字が巨額になり、外国からのプレシャーが強くなること。そして2つ目は切り上げが自国になんらかのメリットをもたらすことである。メリットの最大のものは「完全雇用から来るインフレ」を防止することであろう。

しかし中国は13億人もの人口がいる国であるが故に、完全雇用達成に近付くには時間がかかる。したがって「自国通貨高」という「完全雇用からくるインフレ」への特効薬を当面必要としないのである。したがって、いくら外圧があろうとも中国は「自国通貨安」を続ける、と考える。また中国のリーダー達は「自国通貨安」のメリットを十分理解しているように思える。それがゆえに、中国は安い人民元を武器に中国経済は世界に長らく君臨すると思うのである。

その点、通貨政策の重要性に気がつかなかった日本のリーダー達とは異なり、かつ早めに完全雇用が達成されて自国通貨高のメリットが出てきた日本とは異なるのである。

しかし、さらに長い期間で考えると、人民元も円同様に、実体経済に比べて強くなりすぎて、国際競争力を失い、世界の工場としての地位を他の新興国に譲り渡していくのである。歴史は繰り返されるのだ。

 

 (フジマキな日々) 

1.先週の朝日新聞土曜日版Be「やっぱりフジマキに聞け」は

http://www.asahi.com/business/topics/fujimaki/

でご覧になれます。

 

2今、発売中の週刊現代(43日 球春特大号)50に私の「ニッポン破綻」シナリオが載っています。F1000688週刊現代.JPG上の本文にも書きましたが、最低限の保険として、米国を中心とした分散投資が必要だろう。米株や短期米国債券、$預金、$マネーマーケットファンドの購入を考えた方がいい。

 

3世界的な雑誌International Economyに依頼されて寄稿した。F1000685インターナショナルエコノミ.JPG世界銀行のzoellick総裁やドイツ銀行Weber頭取その他の方々とともに設問に対する回答を載せてもらった

 

international economy.JPG

 

「中国は世界の成長エンジンになりうるか?」という設問である。

私の文章と邦訳は本文3をお読みください。

 

4.藤巻健史の1週間

319日(金)

社外取締役をしているPlanDoSeeの取締役会@シャングリラ・ホテルに出席

320日(土)

午前中テニスをした後、中学・高校の時のクラスメートだった市島君のお墓参り(1周忌)に上野のお寺へ。一番下のお子さんはまだ高校生で、こんなに早く亡くなったのは、さぞ悔しかろう、と彼の無念さを思う。F1000609市島.JPG

市島君は以前のクラス会で「忙しくて大変だ。このメンバーの中で一番最初に死ぬのは俺だな。2番目が**で、3番目が藤巻だ」と言い残して死んでしまった。「この歳になって忙しすぎるのは問題だぞ」という警鐘を鳴らしてくれていると思って、忙しくなると彼のことを思い出している。もっとも、我がクラスの男性は、規律が大好きでイチムラ、イチジマ、イマイ、カンダと規則正しく、名簿順に亡くなっているから、私の番は,だいぶ先だとも思っている()

ところでコバヤシ君が「最近の若者は草食系が増えて女性には興味がなさそうに見えるけど、フジマキのところは大丈夫か?」と聞くので、「うちは大丈夫そうだ。それなりに興味があるみたいだ」と答えたら「そりゃ、よかったな。フジマキの性格が全く子供に伝わらなかったら、それはそれで問題だものな」と返ってきた。昔、コバヤシは私のことを「藤巻は女性にふられっぱなしで、いつも『お預けを食らった犬』のような顔をしていた」と表現したが、それは我々の仲間、皆、同じはずだ。セピア色になってしまった青春の思い出。

3月21日(日)

六本木ミッドタウン近くのレストランにクーを連れていく。光文社の雑誌「Hers」の写真撮影のためだ。F1000612クー撮影.JPGクーはモデルさんの小道具として登場予定。

「日本破綻」出版後は、予想通りに、私の講演回数が激減である。このトッピックは聞きたい人はものすごく多くて講演会をやると大入り満員なのだが、聞かせたい人(すなわち主催者)が少ないのだ。(国際分散投資を進めているからそれなりにお客さんにはアピールするはずなのですが)。したがって講演会収入が急減だから、ここはクーに頑張ってもらわなくてはならない。ところでこの収入は誰が申告するべきなのだろう?主たる主人の家内かな?私かな?藤巻クー(8)で申告したら税務署「馬鹿にするな!」と怒るだろうな。

帰宅後、昼食を取りにクーを連れて綾子・健太と駒沢公園へ。公園隣接のレストランで昼食。

夕方は日本テレビ「笑点」の「大喜利」を見る。お彼岸と言うことで「 嫌われる坊さんとは?」の設問の回答をしていた。以下、回答のいくつか
 
「儲かりまっか?」と聞かれて「ぼち、ぼち」と答える坊さん。
 
「お布施」をもらって「何枚だ、何枚だ」と数える坊さん。
 
「人の道を説く(とく)替りに未亡人の帯を解く(とく)」坊さん。

322(月&休日)

穏やかな日で、庭で昼飯。クーと庭でまったり。日経ビジネス用の原稿を書くF1000623自宅ランチ.JPGF1000625自宅ランチ2.JPG

夜、クーの実家の坂場さん宅へ行ってクーを預ける。

323日(火)

火曜日・水曜日と休みを取って長崎県壱岐島に。7時20分発のANAで福岡空港へ。

レンタカーを借りて長崎空港へ向かう。途中、有田の街で陶器屋を覗き、陶器美術館へ。F1000632有田美術館.JPG

期待していなかったが、かなりいい美術館だった。頑張って欲しい。

その後嬉野の元湯に立ち寄り貸切風呂で入浴。以前福岡に行った際、タクシーの運転手さんが「僕は別府より嬉野の湯の方が好きだな」と言ったのがやけに耳に残っていたので、通りがけに寄ったのだ。無透明のやわらかな、いいお湯だった。

長崎空港からボンバルディアの39人乗りの小型飛行機で壱岐島へ。F1000637熊本空港.JPG小型飛行機と言えば米国留学中で小さな飛行機に乗ったことを思い出す。8人載で操縦席と客室との境はなく私はパイロットの真後ろに乗った。乗客が私を含めて2人だったせいか2人のパイロットは飛行しながら陽気に雑談ばかりしていた。ところが、その陽気だった彼らが雲の中に入った途端、キョロキョロ周りを警戒し、ものすごく真剣な顔に変わったのを今でも覚えている。自動車のメーター類のほかは、おもちゃのような水平器のみしかなく、有視界飛行だったのだ。レーダーもなく管制官との通信だけで飛んでいるようだった。まさに米国では飛行機はバスだと実感した。

30分で壱岐空港へ着陸。飛行機に載っている時はわからなかったが、非常に激しい雨と風が吹いていた。迎えの車でホテル「海里村上」へ。

http://www.kairi-murakami.com/

送迎係の人が車を運転しながら、いろいろ説明してくれた。主たる産業は農業と漁業。自給自足が出来そうな島だ。道路沿いに、けばけばしい広告が全くないことに感激した。壱岐には何もない。観光化されていない。そこが最高。長い時間をかけてやって来る価値がそこにある。30年前、40年前の農村の素朴さを味わう感じだ。

「海里村上」は現オーナーが、団体客を受け入れていたホテルを買い取り、内装を変え、小数の広い部屋の高級旅館に切り替えて、5年前にリニューアル・オープンしたそうだ。F1000667海里村上7.JPGF1000639海里村上.JPGF1000647海里村上.JPGF1000641海里村上.JPGオーナーの趣味の良さが随所に出ていた。地方の高級旅館・ホテルはハード面が良くてもソフト面が悪いケースがままあるが、ここは両方とも十分、合格点。非常に気にいった。ここのオーナーと湯布院「亀の井別荘」のオーナーとが仲が良いせいもあって、亀の井別荘のオーナーが時々泊まりにくるそうだ。このホテルが洗練されていることの証明でもあろう。

夜は、和食レストランで私はアワビづくし、家内は普通のコースを注文した。大将の「壱岐には養殖ものなんてありませんよ」との言葉通り,地元の食材の良さを上手に引き出していて、かなり美味。会話も楽しませてもらった。F1000664海里村上.JPGF1000665海里村上レストラン.JPG

源泉かけ流しの露天風呂を満喫。F1000659海里村上.JPG

324()

朝はイタリアンレストランにて。軽いディナーと言ってもおかしくないような朝食を堪能。

綾子も「夜は地元の海産物の贅沢な和食。朝も本格的イタリアン。ベットでゆっくり寝られて、源泉かけ流しの露天風呂を満喫、とこれだけそろっているホテルはそうはない」と絶賛。海外を含め我々ほど数多くの「名の通った」または「日本人には無名の」ホテル・旅館に泊ってきた日本人夫婦もそうは多くないと思うが費用VSリターン(満足度)の関係で行くと『海里村上』は、かなり上位に位置すると思う。(もちろんべらぼうに高いお金をかけると、ものすごいサービスを受けられるところはあるが)

帰りは時間の関係で、所要2時間の大型フェリーで福岡港へ。この次のフェリーやジェットフォイル(1時間で福岡と結ぶ)が欠航と言うほどの強風だったので酔い止めを飲み、上船後、すぐに個室で横になって2時間熟睡。

羽田から車で帰宅中に連絡が入り、明朝のTBS「みのもんた 朝ズバッ!」のための録画収録をしたいと言うことでスタッフに急きょ、自宅に来ていただいた。夜615分から1時間弱録画撮り(いつも通り、翌日30秒、録画出演)

8時半PMに家を出て綾子と一緒に幸夫が社長をしている「Keita Maruyama」のファッションショーへ。(@恵比寿ホール)

マスコミを含め400人くらいは来てくださっただろうか?盛大なファッションショーだった。ファッションショーへ行ったのは、もちろん生まれて初めての経験。

F1000676.JPG気を利かせて「Keita Maruyama」のセーターを着ていった。

会場でショーが始まる前のホールの入口で、家内から指摘された。「あなた、そのセーター裏返しで着ているわよ」やっちゃったー!どのモデルよりもインパクトが強かったかもしれない。

 

 

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