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1郵便貯金の受け入れ限度額が2000万円に引き上げられた。とんでもないことだ。これに関しては先週末の朝日新聞土曜日版Be「やっぱりフジマキに聞け」に簡潔に書いたつもりだ。是非お読みください。
http://www.asahi.com/business/topics/fujimaki/
補足すれば、「郵政改革」とは、日本を「財政破綻」から救うためのものであり、決して「全国一律のサービス」のためのものではなかったはずだ。
借金ずけの政府が、さらなる「高度なサービス」を提供すれば、財政破綻が不可避になる。そうなれば「全国一律、葉書は翌日届くが年金はなし」という時代が来るのだ。「全国一律、葉書は翌日届くけれど、国民の年金は無くなる」のがいいか「地方に出す葉書は4日かかるが年金制度は存続可能」の方がいいか?その選択の問題なのである。
財政破綻の後にハイパーインフレが続けば郵便貯金は実質パーである。1000万円を返してくれてもタクシー初乗りが1000万円になればそれは財産没収と同じだからだ。私がハイパーインフレを「合理的徳政令」と呼ぶ理由だ。政府は約束通りに(法律通りに)お金を返してくれるがお金が返ってきたときにはお金の実質的価値がなくなっている。それは実質、お金を没収されたと同じである。
私は、今まで、政府は「ハイパーインフレによって国民一人当たり、1000万円を没収するつもりだ」と思っていた。その没収額を「今回2000万円に引き上げた」と理解している。
2.「日本破綻」(講談社)に書いたとおり、入札は今後とも重要なニュースだ。
「44兆円の歳入に対し、92兆円の歳出。不足の44兆円を国債発行で賄う」と頭の中で考えていても国債が完売出来なければ「子供手当」も国家公務員の給料も払えない。
入札結果発表で「国債未達」のニュースが流れた瞬間に、日本のマーケットはThe「END」だ。債券先物、株先物市場は連日のストップ安、$/¥は200円の世界であろう。
10年国債の入札は毎月あるわけだが、そのたびに市場がドキドキする日が今後、数年続く。その瞬間にも政治家は「のほほん」と「ばらまく」ことだけを考えているのだろう。これで日本は大丈夫か?
なお、今年4月の入札予定日は
4月6日(火)10年国債、4月13日(火)30年国債 4月22日(木)20年国債 である。
3.与謝野さんが自民党を離党した。「谷垣自民党は、民主党の失点を生かし切れていない」との批判からのようだ。しかし、自民党は「財政再建のための小さな政府」の1枚看板で十分戦えると私は思う。現在、日本の直面する最大の問題はなにかをしっかり掴んでおけばいいだけの話である。
4。昨日(4月4日)の日経新聞1面に日中「成長へ内需拡大」を、の記事が出ていた。菅直人副総理・財務相が中国側と経済財政や金融問題を協議する「日中財務対話」が4月3日に開かれたことの記事である。3面には「人民元相場維持に理解」と大きく見出しが載っている。
アー、情けなや。「経済/市場」の理解度に関し、中国人政治家と日本人政治家の間で大きな落差があるのがわかる。
中国が「人民元を安く保つ」ことを国の一大戦略としているのは明確だ。「欧米からの圧力があってもお茶を濁すほどの反応しかしない」であろう・
彼の国の政治家は「通貨安がいかに現在の彼らにとってメリットがあるか」を分かっている。一方日本の政治家は「為替レート」の重要性を全く理解していない。市場のことが分かっている政治家が日本にいないのは、日本の不幸である。
バブル最終年の1989年12月末$/¥は143円、それからこんなに日本は弱くなったのだから$/¥は200円になってもおかしくないのに90円と逆の方向に行ってしまった。「$/¥が低位安定してしまったからこそ日本経済も低位安定してしまった」のだ。
ちなみに1980年、160円も出さないと1人民元は買えなかった。いまでは14円弱で買える。人民元が12分の1と安くなれば世界の工場が日本から中国に移るのは自明の理である。いかに日本人経営者が「品質管理をしよう」と「日本人の給料を減らそう」と中国には勝てないのである。1㌦が100円の円高から1200円の円安になれば、日本は何をしなくても世界の工場に戻るだろう。それと同じだ。そうなれば、豊かになるから内需も深耕する。人手不足もいいところだから就活問題もなくなる。
ゆきすぎた円高を是正することが「国民の財産を守る」上で最高の特効薬である。そのための第1歩として、何をしたらいいか?
郵政を極力小さくことだ。それなのに政府は逆のことをしている。
私のロジックの詳細はすでに「日経ビジネス」に送った原稿に書いてある。今週号にもまだ載っていないようだが、もしボツになっていなければ、いずれ出るでしょから、ぜひお読みいただければ幸いです。
(フジマキな日々)
1.先週の朝日新聞土曜日版Be「やっぱりフジマキに聞け」は
http://www.asahi.com/business/topics/fujimaki/
でご覧になれます。郵政問題です。2000万円の限度枠引き上げとんでもない、と言う話です。
2.本日発売の週刊ポストのp105「ポスト・ブック・レビュー」で
拙著「日本破綻」を3ページにわたり大変好意的に取り上げてくださっています。また本の内容をギュッと凝縮してまとめてくださいました。ぜひお読みいただければ幸いです。
3.金曜日、BBC (英国のNHKのようなもの)から電話がかかってきた。
本日(4月5日)朝7時40分から東京スタジオに来て、生でしゃべってくれという内容だった。
本文4で書いた「日中財務対話」に関する話だそうだ。英国向け放送だから、もちろん英語である。モルガン銀行の支店長だったころは、下手なりに毎日しゃべらざるを得なかったが、この数年間英語など、たまにしか話していない。
ブルムバーグからはたまに依頼があり英語でしゃべって、出演後、毎回落ち込んできたのが昨今の英語活動である。それでもブルムバーグは主として業界向けだから、恥をかく範囲が限定されている。しかしBBCとなると一般向けである。
そこで「国際的に恥をさらしたくない」とお断りした。それを聞いていた長男・健太いわく「受ければ良かったのに。英国向け放送なのだから、遠くで笑われるだけだよ。面と向かって笑う立場の人は聞いていないから。向こうには娯楽番組が少ないから英語の下手さ加減で少し笑わせてあげればよかったのに」
そうかー、出れば良かった。
4.フジマキ健史の1週間
3月25日(木)
評議員を務める東洋学園大学の理事会・評議会に午後4時から6時まで出席。その後,恒例の理事・評議員の懇親会。理事長は元財務省の江澤国際金融局長で小・中・高の先輩だ。懇親会では同じく小・中・高の先輩である中原元日銀審議委員と日銀の金融政策について議論をさせていただいた。
3月26日(金)
「行列のできる法律相談所」で有名な住田裕子弁護士に誘われて二期会会員のテノール歌手、樋口達哉さんのディナー・ライブに家内・アヤコと行ってきた。銀座のレストランに60人と極めて少人数を呼んでのコンサートで住田先生が主催。最前列の真ん中のテーブルをご用意いただき恐縮至極。
樋口さんは「歌っていると唾が飛んで行くのがライトのせいで、よく見えて最前列のお客さんに申し訳なく思った」とおっしゃるが、とんでもない。普段は大ホールでしか聞けない日本有数のテノール歌手の歌声をそれこそ超真近に聞けて感激だった。樋口さんはオペラ界の若者トップスター達のユニット「ザ・ジェイド」のメンバーでもある。「ザ・ジェイド」としてCDも出しているそうだ。
コンサート後、彼の持ち歌の一つを作詞をした東京スター銀行の佐竹取締役が仕切って樋口達哉さん、住田先生など数名でバーで雑談。
(樋口さんと住田弁護士とともに)
目の前に座った樋口さんにオペラ歌手を目指した理由、これまでの道をいろいろお聞きして楽しかった。全く違う分野の人の生きざまを聞くのは楽しい。
チャレンジ精神でイタリア留学をしたこと(7年いらしたそうだ)がその後のオペラ歌手生活の大きな糧となったようだ。
3月27日(土)
午前中テニス。夕方、次男弘が米国での3週間のホームステイを終えて帰国した。ホームステイ先のビル・ジャービス夫婦と私共の関係は下の 5ビル・ジャービスをご参照ください。
これは私が三井信託銀行に勤めていたころ、社内誌の巻頭記事を依頼されて書いたものである。
3月28日(日)
家族4人と愛犬クーで近所の犬連れOKのレストランへ。昼間からカクテルの「マルガリータ」を飲んでしまい、午後は気持ち良くなりお昼寝。
4月1日(木)
弟・幸夫が社長を務める「藤巻兄弟社」の入社式。といっても入社は1名。それなのに幸夫が彼女の前で45分も訓示を述べたそうだ。半日しゃべるかと思った社員もいるから、よく45分でよく終わったものだ、と感心しなくてはいけないのかもしれない。
夜8時より神宮前のレストラン貸切で入社懇親会。
ちなみに、ちょっと前「藤巻兄弟社」の親会社である「フジマキ・ジャパンが転職したい会社100社の中に入りましたので取材をお願いします」という依頼が入り、社員一同ずっこけ、爆笑したことがあったが、そのグループ会社の中で唯一の定期採用である。カマタ君、しっかりお願いいたします。(会長より)
4月3日(土)
朝、クーの散歩に。緑道の桜が満開である。今年は不景気のせいか提灯が飾ってないので最高。例年、せっかくの桜を、提灯がぶち壊しにしていたと思っていた。不景気も、ほんの少しはいいことがある。
秩父宮ラクビー場と隣で午前中テニス。藤巻・平手組 VS 鈴木・阪本組6-2、 藤巻・片平組 VS 佐藤・阪本組 6-2
4月4日(日)
朝、クーを連れて東工大の桜を見に。ここも去年までは席取り合戦が行われていて無粋なブルーシートが敷きっぱなしだったが、今年から飲酒を禁止したせいかブルーシートが無く、人もおらず最高。国立の一橋大学の通りの桜も好きだが、この東工大の桜も素敵だ。とくにここは古木が多く、幹の形と黒い色が良い。本日のように曇り空だと、幹の黒さが目立って素晴らしい。幹の黒さがあってこそ桜色が引き立つ。雨にぬれた幹の黒さと桜の花びらが青空に映えれば言うことなし。
東工大の工事現場に書いてあった言葉。なかなさ面白いがまだ若い。最後に「人生も」と入れたいところ、と今年、還暦を迎える私は思う。「小説と、恋愛と、論文と、人生は 終わり方が難しい」
その後、田園テニスコートに。中村博氏と組んで金融チームが「三科・亀井組」のお医者様チームに挑戦。
亀井医師(東京都済生会中央病院婦人科部長)は私と同じ歳だが、慶応大学医学部体育会硬式テニス部出身で我々とは格が違うので敗戦必至と思っていたのに第2ゲーム6-4で勝ち(もっとも第1試合は3-6で実力通りの負け)大喜び。ちなみに亀井医師のファーストネームは「清」とおっしゃるのだが、最近、「静香」と間違えられるそうで迷惑しているそうだ。三科医師は我々が受験の時の東大医学部生。東大の入試をなくしたくださった恩人(?)「ごめんごめん、受験生のことまで考えていなかったよ」とおっしゃるが、本日、かたき討ち達成。
11時半よりクラブハウス2階で恒例の花見大会。 (↑左は亀井医師。右隣は三科医師)
(↑左は三菱UFJ信託の結城専務)
帰宅してからも飲み続け本日は(も?)飲み過ぎ。
週末帰宅していた弘が翌朝、早いからと下宿に帰宅。4月からは班ごとにいろいろな診療科を回るそうだが、最初の一週間は麻酔科とのこと。
5.ビル・ジャービス
以下、弘がホームステイしたビル・ジャービスのことを書いた「三井信託ニュース」の巻頭記事です。
「イギリスでの結婚式」
1983年3月19日(土)
一点の妥協も許さぬ非情さで人々を押し込める暗く低い雲。その下で砂を噛むようなモノトナスな冬を送っていたロンドン子達が外に飛び出し、甘美な旋律が町を支配している。そんな3月のとある土曜日、私は12時15分ロンドン・バディングトン駅発特急インターシティ125に乗ってブリストルに向った。米国人ビルと英国人ヘーゼルの結婚式に出るためである。
ビルは私が米国で共に学んだ友人で私の帰朝後、私を頼って訪日。我が家での2カ月をスタートとし、1年間日本での生活を体験した。エール大学、ノースウエスタン大学院を出て、今弁護士。5年、10年後に結実する才能をひしひしを感じさせる好青年である。
一方ヘーゼルは、ブリストル大学の化学教授と、大学病院医師の奥さんの次女。1年間の日英交換教授となった父上とともに来日、2年間滞日した。非常に端正な態度で生活に励むイギリス・レディーである。
その二人が東京タワー前の教会で出会い、愛をはぐくんだのである。
ブリストルでの結婚式は暗灰色の壮大な教会で行われた。教会内は、町の喧騒と沈鬱なる時の流れを忘れさすに十分な優雅さが漂っていた。
教会の外観的な美しさだけでなく、この結婚式自身、私にとって予期していたとおりの最高に灌漑の深いものであった。東京で、ビルの思いを語っていたヘーゼルのうれし涙、恩人と思ってくれていつも何かと我々の面倒をみてくれるヘーゼルの両親のうれしそうな顔、二人を通じて東京で知り合いになった英国人・米国人や、アメリカで何度も泊りにいったビルの両親との再会……
まさに三井信託が私を研修に出してくれたおかげでしりあったこの二人、この二人に祝福あれ!!
体調悪く出席できなかった家内への花嫁からの贈り物のブーケに赤面しながらも、私は深い情感に満たされてロンドンに戻るインターシティーの鳶色のシートに身を沈めていた。
