(本文)
1.明日(4月19日)発売の日経ビジネスで4ページに渡り(p82-)「郵政民営化逆流」に対する懸念を書かせていただきました。「大きい政府」に再び日本が舵を取れば財政破綻は不可避になる、という内容です。
下記の日経ビジネスのWEBページで読めますので是非読んでみてください。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100413/213962/
今週の本文は、これで代用させていただきます。
(フジマキな日々)
1.先週の朝日新聞土曜日版Be「やっぱりフジマキに聞け」は
http://www.asahi.com/business/topics/fujimaki/
でご覧になれます。
2.明日(4月19日)発売の日経ビジネスで4ページに渡り(p82-)書きました。
「郵貯限度枠」が1000万円から2000万円に増枠されるようですが、増額預金をして大丈夫か?というような内容です。
下記のWEBページで詳細版が読めますので是非読んでみてください。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100413/213962/
3.先週の土曜日は金毘羅歌舞伎に行っていたせいで,お呼ばれをした1988年JPモルガン入社の同期会に行けなかった。88年組は約60名採用したのだが、その半数が参加したと幹事の柴内君から報告があった。私はモルガンに入社して3年目。ボスのドミニック・ジョージから「将来、フジマキが使いたい人材を取れ」とマーケット分野の採用の全権を委任されていた。コーポレートファイナンス分野は現ドイツ銀行東京支店長の相内さんが責任者だった。というわけで、相内さんと私の2人で採用の指揮を取った。なお88年入社組は、非常に優秀だという評判をNYからも得ている。
以下、柴内君からの同期会の報告の一部
「相内さんから当時の採用に関する暴露話がありました。
某KO生に関してですが、体育会好きの藤巻さんにはインパクトが弱かったらしく×、相内さんは彼のアゴに共感を覚えると○と(フジマキ注 確かにこのKO生君はアゴが印象的ではあります)、意見が分かれたそうです。
何とか彼は採用してもらえましたが、さすがのMR.FUJIMAKIも、将来彼が円スワップ市場を代表する腕利きディーラーになり、藤巻さんのディールを一手に引き受けるまでに成長する、とは予想されなかったようです。
彼はこの話を聞いて愕然として、皆の前で、『だから藤巻さんにはいつもいじめられていたのか。。。』とこぼしていました。」
(フジマキ注 いじめていたのは仕事上の話ですから誤解なきように。私は
モルガンの自己ポジション取引をしていたので円スワップのマーケットメークをしていたK君の最大の顧客(社内顧客)であり、レートに関して、非常にシビアーな要求をしていたのです。ですからK君の上司の米国人とはいつも大喧嘩していました)
4.フジマキタケシの1週間
4月14日(水)
藤本能道展が終わりに近づいたので(4月18日まで)12時にホテルオークラの隣にある菊地智美術館へ。オーナーの菊地智さん(私の尊敬するおばあちゃま経営者)の娘さんのミサオさんに案内してもらって展示物を拝見。故・藤本能道氏は色絵磁器作家で人間国宝。東京芸学の学長もされていた。わかりやすい作品群で、素晴らしかった。
案内してくれた菊地ミサオさんは私の雙葉幼稚園時代のクラスメート。
朝日新聞「フジマキに聞け」や拙著で紹介した「私は86歳なのに、『100年に1度の危機』をもう2度(1929年の世界大恐慌と今回の危機)も経験してしまいましたよ」との発言をされたのは智おばあさまである。「100年に1度の危機」という表現がいかに誇大表現なのかを看破された方なのだ。何度も、夕食をおごっていただいたことがある。
展示を拝見した後、智おばあさま、ミサオさんと美術館付属のレストランで食事。このレストランは、テレビで美術館付属のレストランNO.1に選ばれただけあって、いつも満員。庭園に面した素晴らしいスポットだ。
午後、悲報。
家族ぐるみでお付き合いをさせていただいた石村おとうさんが亡くなった。
57歳。あまりに若すぎる。2年間の闘病生活をされていたので、多少なりとも覚悟はあったが、知らせを聞いてショック。かなり落ち込んだ。人生のはかなさを思う。
次男・弘と石村さんの長男が幼稚園で仲が良かったことから、石村家とは家族ぐるみのお付き合いが始まった。それ以降の20年間、毎年夏は、両家で石村さんの下田の別荘に1週間近くお邪魔するのが恒例だった。一日中、海岸で過ごし、夜は、庭でのバーベキューでよく食べ、よく飲んだ。
我が家の子供たちにとって、「下田の石村家」を語ることなくして夏の思い出はなかろう。
「石村お父さんは半分は僕らのお父さんだ」と言うほどに我が家の息子たちを
かわいがってくれた。東京でも最低月に1度は夫婦で飲んだくれ、4人で千鳥足で深夜に帰宅したものだ。カラオケにも行ったし、潮干狩りや川釣りにも出かけた。小唄の発表会にも聞きに行った。
長女ヨリちゃんの郡山での結婚式には家族4人で参加させていただいた上、親族の集合写真にまで入りこんでしまったほどだ。
石村お父さんは、三味線を手作りで造る数少ない職人である。
テレビや雑誌でも取り上げられた名工だった。仕事場で会う石村お父さんは、普段の柔和な顔からは想像ができないほど引き締まった顔をしていた。かっこよかった。日本は、伝統文化の貴重な担い手を失ったと思う。
ああ、一緒に楽しく遊んだ石村お父さんは、もうこの世にいない。ご冥福をお祈りするばかりだ。
悲報を聞いて石村お父さんのご遺体に対面させていただいてから後楽園に。
日本テレビの氏家会長から巨人VS阪神のチケットをいただき、オオニシ先輩と行く約束をしてあったがオオニシ先輩に券をお渡ししていなかったからだ。券を渡す必要があった。せっかく来たからと、少しゲームも見たが、石村さんの悲報の後だったので、全く面白くなかった。ボーとしていた。
この日、ラジオのTokyo FM 夜7時15分ごろから「財政破綻」問題で録音出演。もう一人の録音参加者は浜・同志社大教授。
前日の半蔵門のTokyo FMスタジオでの録音時、「2分ほどの録音出演となります」と言われていたが、6,7分も私の声を流してくれた。
オオニシ先輩に「浜さんの数倍の露出度だったですね。僕の方がわかりやすく説明出来たんですかね?」と言ったらオオニシさんいわく「なに言ってんだか?浜教授の方が簡単明瞭にコンパクトに説明出来たせいだ」と言われた。アー、そうか~。
長男健太も帰宅後、石村家にお線香をあげに出かけた。
4月15日(木)
朝11時、朝日新聞出版局ら女性ライターと女性カメラマンの方が我が家に。AERAムック「賢人に学ぶ 仕事力UPの勉強法」(仮)の取材のためである。来月早々発売。
午後、東大大学院の特任教授の木村君が運営しているファンドの総会に。
木村君は東京教育大学付属中学時代の同級生で薬学博士。高校はクラスが違ったが、家が近いのでよく一緒に帰った。モルガン銀行のM&A部門に一時いたこともあり理系でありながら、ベンチャービジネス業務にも詳しい。
このファンドは木村君をはじめ芦田君など薬学の専門家が「これは」と思う医療ベンチャーを見つけ出して、それらのビジネスに資金を提供するファンドである。木村君から是非に、と頼まれたせいもあるが、多少なりとも社会貢献になるかな?と思い出資した。
総会での話は専門外で、ほとんどチンプンカンプンであるが、医学がものすごい勢いで進歩しているのだけは、わかった。ただ石村お父さんを直すほどまで進歩していなかったのが残念だ。
今回の総会ではないが、昔、シャーレの中で人工細胞が心臓のように鼓動している映像のプレゼンテーションを見た時は驚いた。もっともビジネス的にこれらの投資が儲かるかどうかは極めて不透明。
総会では木村君が一番前列に座っていたが、彼の後頭部を見て思った。養毛分野では、近き将来、画期的な薬は出てきそうも無いな、と。
彼の後頭部が、ますます薄くなっていくからである。もし特効薬が開発されそうなら、彼にとって極めて重要な意味を持つから、間違いなくファンドが投資をしているだろう。しかしその分野のプレゼンテーションはなかった。
懇親会は抜け出した。私をメインゲストとして扱ってくださる菊池さん(元テレビ朝日ディレクター)主催のマスコミの会があったからである。
恵比寿にて飲む。飲み過ぎた。
ところで、夕刊フジから本日の1面か最終面に私の「財政破綻論」が大きく載るはずだったが「雨のため順延」という連絡があった。プロ野球みたい。雨だと新聞の販売部数が落ちるそうで、お世辞だとは思うが、私の論は部数が出る日に使いたいとのことだった。今週中には出していただけるのではないか?
4月16日(金)
正午から恵比寿のウエスティンホテル31階の鉄板焼きで私が社外取締役をしているPlan.Do.Seeの取締役会。
午後4時からプレジデント社の取材(5月10日発売号用)@オフィス。
午後6時半から新橋の焼鳥屋さんで勉強会(?)一橋大学出身のマーケット参加者9人の集まりで3カ月に一度くらい開かれている。
参加者はマーケットを動かしていたbuyサイドの大物ばかりだったからセールスマンの人達にとっては、会いたくてたまらないだろうメンツの集まりだったわけだ。
マーケット分析に関しては、かなり熱く議論したが、お互い、何をしているかは聞かないし、話さないのが鉄則だった。
我々は日本のマーケットが発展するよう、倫理面でもリーダーであるべし、という認識を共有していたからだと思う。
ただ、今年還暦を迎える私と元三菱UFJフィナンシャル・グループ専務取締役の水野俊秀君(中学・高校の同級生であるが、どういうわけか大学では先輩)が最若年なのだからもう皆、マーケットの最前線で自分自身で売った,買ったという歳ではなくなった。
(元みずほコーポレート銀行・常務執行役員グローバルマーケットユニット統括役員で現DIAM社長の中島 敬雄さんは今だ最前線と言えばいえるかもしれない)したがって勉強会が、だんだん単なる飲み会にシフトしていっているのも事実である。
4月17日(土)
今日も冷たい雨。明け方の雪には驚いた。まさに石村お父さんの涙雨だね、と家内綾子と話す。いまだ思い出すのは石村お父さんのこと。
次男・弘も下宿先から帰ってきて石村家にお線香をあげに行った。
夜、3年前に近所に引っ越してきた安西さんの音頭取りで近所のバー・レストランで5夫婦で食事。
4月18日(日)
昼、家族4人でクーを連れて近所の犬連れOKのレストランへ。
