(失礼いたします。暑くて暑くて。愛犬クー)
(本文)
1.以下、先週の朝日新聞土曜日版be「やっぱりフジマキに聞け」の一部だ。
「国力と通貨の関係とは学力と通信簿の関係だ。国力が落ちれば通貨も弱含む。世界中の人々は、弱い国の通貨など誰も欲しがらないからだ。
先日、カナダで開かれた主要8カ国(G8)首脳会議で「2013年までに財政赤字を少なくとも半分に減らし、16年までに政府債務の国内総生産(GDP)比を安定させるか減少させる」という首脳宣言がなされた。
ところが日本だけが例外扱いになったのだ。どう転んでも無理な目標だからだ。この目標は他のG8諸国にとってはユルすぎる目標と言われている。つまり、日本は落第生扱いされた、というわけだ。
なのに、その直後から円が買われた。どう考えても円高は一時的だとしか思えない。だから、私は「おかしいな~」と思いながら、相変わらずおなかいっぱいになるほどのドル買い・円売りを続けている。」
今、日本は財政破綻の危機にあると思うのだが、まさに大雨が降ってきたからと言って「崖の下に逃げ込んでいるような」ものだ。「はげ山の中で雷が鳴り始めたから、雨宿りに一本しかない大木の下に逃げ込んだような」ものだ、と私は思っている。
これは、日本国民としては極めて由々しき状態であるが、ディーラーとしてみると、千載一遇のチャンスである。中長期的な円安、長期金利高で利益の上がるポジションを組みのにはコストが今、極めて安い。
2.昨日(8月4日)の朝日新聞1面「日本@世界」では朝日新聞主筆・船橋洋一氏の記事が載っていた。注目記事である。
「戦争に負けたわけでは無い。関東大震災があったわけでもない。それなのにバラマキとデフレのつけで借金大国となった。」
最後には「しかし、彼らがせっせと貯金するカネで金融機関は国債を買い続けている。それによって国債相場は特殊日本製の“ガラスの城”の上で泡を吹いている。それがはじけたら、老若男女、誰もが被害者となる。世代間戦争ではない。全員こぞって敗戦である」
私が3月、「日本破綻」を出した時、煽りすぎだとの非難も聞いた。船橋さんの記事を読んでも、まだ私のことを煽りすぎだと非難するのだろうか?
3。先週の金曜日「スーパーモーニング」に録画出演させていただいたが、次の録画出演者のクレジットスイスのチフエコノミスト白川氏が「貯蓄税」がいいと力説されていた。「貯蓄税」とおっしゃるから「貯蓄している人が馬鹿をみる」インフレ導入のことかと思ったら、違って、「預金に対して2%の税金を掛ける。そうすると6兆円くらいの増税になるし、株や土地に資金がシフトするので副次効果がある」とおっしゃるのである。申し訳ないが、首を傾げざるをえない。ここまで財政赤字が巨大化すると、もう奇策はありえない。その「貯金税」なるアイディアを政府が出した瞬間、国債が大暴落し、ゆうちょ銀行など破産である。日本のマーケットは株も為替もThe ENDだろう。どんなに経験の浅いトレーダーでも、このアイディアが世に正式に出てくれば、国債の売りをまずは考えるだろう。銀行から資金が流出するからだ。銀行や郵便局は国債を売って資金調達をしなければ資金繰りがつかなくなる。
この考え方は私が10数年前から主張して、馬鹿にされ続けたマイナス金利論とある面、同じであるが、マイナス金利の方が世に混乱を起こさず、効き目が良いはずだ。しかし、マイナス金利論でさえ、ここまで財政赤字が大きくなってしまうと、大トリプル安の引き金になってしまう可能性がある。遅かれ早かれ、マーケットがトリプル安の引き金を引かざるを得ないところまできてしまったと思うが、評判ガタ落ちを覚悟で、市場に死刑判決を出す政治家など、今の日本にはいない、と私は思う。
(フジマキな日々)
1.先週の朝日新聞土曜日版Be「やっぱりフジマキに聞け」は
http://www.asahi.com/business/topics/fujimaki/
でご覧になれます。
2.8月20日、朝日新聞出版より「日本破綻『その日』に備える資産運用術」
発売です。よろしくお願いいたします。(↓)
赤い本です。
本文にも書きましたが、昨日(8月4日)の朝日新聞1面「日本@世界」では朝日新聞主筆・船橋洋一氏の記事が載っていた。最後を「しかし、彼らがせっせと貯金するカネで金融機関は国債を買い続けている。それによって国債相場は特殊日本精の“ガラスの城”の上で泡を吹いている。それがはじけたら、老若男女、誰もが被害者となる。世代間戦争ではない。全員こぞって敗戦である」と締めくくっている。
敗戦に備え、どうやって財産を守るかを書いたのが、この本です。災害が近付いたと感じると人々は保険を掛けます。この本で推奨しているポートフォーリオは保険と同じです。推奨しているポートフォーリオで損をしても、その損は保険代と割り切ってください。この本の代金も保険料の一部だとお考えください。
火災保険を掛けて火事が起こらなくて嘆き悲しむ人はいません。この本が無駄になれば、こんなうれしいことはないはずです。我々日本人は日本で仕事をして、自宅を含め大部分の資産は日本にあります。したがって危機が起きなければ、我々は万々歳です。もちろん、日本大好き人間の私も同じです。
しかし、ここまで財政赤字が深刻化すれば私は保険をかけざる(保険的なポートフォーリオを組まざる)を得ません。どういうポートフォーリオを組んでおけば、危機が起きた時に、なんとか生き延びられるかを書いたのです。
能天気に暮らすのも一つの生き方ですが、確率の高まってきた危機に備えた保険を掛けるのは、たとえそれが無駄になっても賢い生き方だと私は思うのです。
3.フジマキ健史の1週間
7月27日(火)
朝日新聞土曜日版be「やっぱりフジマキに聞け」は、しばらく私1人が2つ書かせていただいていたが、8月21日版より、いとこの藤巻紘一が入り、私と紘一の2人体制に戻る。それ用に朝日新聞社内で紘一と私の新聞用写真を撮った。紘一は私の父の長兄の長男である。父は7人兄弟の下から2番目なので紘一は私より8歳年上である。だから、いとこと言うよりは叔父貴という感覚だ。ちなみに父の長兄は、慶応大学放射線科の助教授(のち客員教授)でかつ慶応大学の唯一の分院・月が瀬温泉診療所の所長だった。気象にも多大な興味を持ち、昔、朝日新聞の1面天気図の下に毎週1回、数行のコメントを書いていたので紘一は親子2代に渡って、朝日新聞に登場させていただくことになったわけだ。紘一は森永の広告にいて、昔、山本直純が出ていた広告「大きいことはいいことだ!」の制作にかかわっていた人間である。
夜は、下宿をしている弘を連れて、近所のお寿司屋さん「スシコマ」へ。
7月28日(水)
大阪毎日放送で「ちちんぷいぷい」にコメンテーターとして生出演。帰りは地下からタクシーで新大阪駅に送ってもらうのだが、タクシーが地上に出た途端、若い女性陣がワーとタクシーに寄ってきて、バシバシと写真を取られた「オイオイ、なんだ?私しゃスターか?そんなわけないだろう。留置所に送られる被疑者と間違えたか?」と思って運転手さんに聞いたら「ヤマピーが今日出演するとテレビ欄に出ていたので、彼だと誤解したんじゃないですか?地下から車で出て来る人、ほとんどいないから」だそうだ。皆さん、残念でした!携帯写真を誤って撮った人は、今頃、怒ってブチ消しているだろう。
確かに料理のコーナーでは毎週、ゲストで芸能人・スポーツマンが出てくるのだが、今週は、ヤマピーを紹介する女性アナに対して漫才師の方が「声が裏返ってますよ」と冷やかしていた。しかし、だからといってそんなに有名な人とは思わなかった。何はともあれニュースとかいうグループの山下君という人だった。帰宅して報告したら、家内・アヤコも石村ママも秘書のヤマダも「前から知っていたらついて行くんだった!」とのことでした。
ちなみに次回の「ちちんぷいぷい」生出演は9月6日(月)です。(ア、私のです。ヤマピーのではありません。あしからず。)
7月30日(金)
テレビ朝日、スーパーモーニング録画出演。
翌日、テニス仲間の鈴木夫人から言われた「インタビューの最中は、一面、藤巻さんの顔のアップばかりだったわね。おかげで視線の逃げ場がなかったわ。もっと画像引いてホッとさせるべきよ」
夕方から中学時代の同級生・鈴木君の写真展へ。(真ん中が鈴木教授)
鈴木君は日大芸術学部写真学科の教授。
写真展を見た後、小林、冨田、鈴木純夫、秋間と鈴木教授と近くの飲み屋で一杯。
7月31日(土)
朝、テニスをした後、日本橋公会堂で大前研一さんの学校「ビジネス・ブレークスルー」の聴講生に対し講演。家を出る直前に、念のためにチェックするまで、日本橋ではなく、日比谷公会堂だと思っていた。間違わなくて良かった。それをテニス仲間に言ったら、ミヤベサンいわく「日比谷公会堂は音楽専用。ひょっとして噴水前で、やるつもりだったんじゃないだろうね。あそこは公会堂ではなくて野外広場というんだからね」
8月1日(日)
午前中テニス。夜は川崎市立井田病院内科部長の竜崎先生ご夫婦と我が夫婦2組で近所の飲み屋さんで一杯。よく飲んだ。
8月2日(月)
田園テニス倶楽部での私のペアーの中村さんの主催で、某銀行の役員の方と会食。
久しぶりのワインがおいしかった。
8月3日(火)
犬仲間の吉廣さん夫婦と近所の三鬼夫人と我が夫婦5人で奈良へ。平城遷都1300 年祭の薬師寺奉納大歌舞伎を見るためである。
2時に薬師寺について、まずは大谷徹奘執事(↓)がお寺を案内してくださった

(↑夜の歌舞伎の準備)

故・高田好胤薬師寺住職に師事されたお坊さんで、今は全国各地を法話行脚しておられるが、この日は寺に戻っていらしていたので、わざわざ案内してくださったのだ。
おっかけもいるほどの有名な方だと聞いていたのだが、さすが話は絶妙。声も素晴らしく引き込まれる。
「私は今、仏の道に入って、とてもよかったと思っている。でも最初は苦しかった。自分で決めて入った道だが、それでも、誰が私をこんなところに連れてきたんだと恨みたくなるほど苦しかった。自分が好きで選んだ道でも、最初はこれだけ苦しかったんだ。どこにでも苦しさはある。それを乗り越えるべく努力することはとても大切です」というさりげない話が心に残る。私もディーリング大好きだけど最初は苦しかったな~
これを帰京してから、健太に話して聞かせたら「当たり前の話じゃないか?何をそんなに感動してきたの?」たしかに私が書いた上の文章を読んでも、ちっとも感動しない。
それを感動させたのが大谷さんの話術と私の話術の違いである。
ところで、この特別扱いはまさに一緒に行った吉廣さんご夫婦のおかげ。高田住職が東京に出ていらっしゃった時、ついてきた若い大谷執事はいつも吉廣家を訪問して、吉廣さんのお父様、お母様から、たらふく食べさせてただいていたそうだ。「こんなに大きくなれたのは吉廣さんのお父様、お母様のおかげです」とおっしゃっていた。
一度、宿に入って夕食を食べる。
宿泊は奈良公園内の割烹旅館・江戸三。公園が出来る50年前からあったがゆえに、まだ公園内で営業が続けられるとのこと。各部屋は、書院ずくりの別棟で公園内に点在している。部屋から寝転がって見る奈良公園内の緑が最高。家内に言わせると書院づくり等は「殿様になったつもりで座って見ると最高の景色が見えるみたいよ。殿様目線で造られているから」だそうだ。確かにそうかもしれない。学術的に正しいのか知らないが。


夜7時に再び、薬師寺に戻り、観劇。
演題は中村勘三郎の船弁慶。もちろん、ごひいきの坂東彌十郎さんと息子の坂東新悟君も出演する。朝日新聞主催で2日間行われた。講堂前で行われたが、講堂内の仏像もライトで浮かび上がり、とても幻想的だった。もっとも坂東彌十郎さんの奥様からは「昨夜はもっと暑く、着こんだ服とライトと薪の火の暑さで、役者さんはもう卒倒寸前だった」との話を聞いた。イヤー、わかる。ごくろうさまでした。プロは、何でも大変だ。
舞台が終わった後、私にとっては感動的なことがあったが、これは書くとまずいので、割愛。
前日の夜は某新聞が置いてあったのに今朝は朝日新聞が置いてあったので仲居さんに「なぜですか?」と聞いたところ「名前を聞いて朝日新聞土曜日版be「やっぱりフジマキに聞け」のフジマキさんだと分かったものですから」とのことだった。「朝食の配膳の時、そう言ってくれればよかったのに」と言ったら、「そういうことを聞くと失礼かと思ったものですから」とのことだった。私、お忍びではなく、家内と一緒だったんで、聞かれても、全く問題なかったし、かえって聞かれれば、うれしかったんすけどね~。(家内が多少でも私のことを認めてくれるだろうから)
でも、聞かない心配りも朝日を持ってきてくださった心配りもうれしかった。

朝食後は、伊勢に行く吉廣夫婦と三鬼奥さんと別れ、大好きな春日退社へ。が、余りに暑くて歩き続けられず、挫折。

タクシーを捕まえて、何はともあれクーラーの効いているところへ行こう、と奈良国立博物館へ。
ところが、これが、素晴らしかった。東大寺法華堂が修理中ということで、金剛力士像が7月21日から9月26日までここに飾られているが、ライトアップの巧みさと相まって感激的だった。自らもお人形を作っているというボランティアガイドのおばあさまが、像の真近で、いろいろと説明してくださった。また彼女が12神将立像を是非見なさい、と言うことだったので、その前で時間を十分使った。この12神将立像は「仏典に縛られずに自由に造られたので表情が生き生きとしている」そうでボランティアガイドのおばあさまの大好き作品群だそうだ。言われてみると、確かに顔の表情、手の形等、表現力にえらく富んでいた。今後、外国人が来たら、奈良ではこの博物館を是非訪問するよう推薦することにしよう。
この2日間、大谷執事やこのボランタリーガイドの方にいろいろなことを聞いたおかげで、ものすごく勉強になった。如来と菩薩の区別も知らなかった私が今や、像を見て区別がつくようになったのだ。(と言っても、これは5分で理解できる)
奈良美術館で、本を買い、帰りの新幹線の中で、さらに勉強を続けた。
帰宅したら、我が家のさるすべりが花をつけていた(↓)。我が家のさるすべりは遅咲きで毎年花をつけるのが9月だが、今年は1カ月早い。やはり異常気象か?
