↑6月23日(木)発売予定(1000円)
(本文)
付録の「フジマキな日々」は下の方にあります。
1.財政赤字が極限まで達した時に今回の震災は起きた。とんでもないことになると思う。今度の震災を2度目の敗戦に例える人がいるが経済的には2度目の敗戦はまだ訪れていない。3月11日が2度目の8月15日ではないのだ。私は、2度目の8月15日は、近々起きる国債未達(入札で国債が完売出来ない)の日だと思うが、そのほかの理由を契機に起こるのかもしれない。3月11日が2度目の8月15日だと思っている人は、今度の震災は日本にそれほどの変化をもたらさないと思っているだろうが決してそうではない、と私は考える。
(注:もちろんお分かりだと思いますが、8月15日に何かが起こると言う意味ではありませんからあしからず。終戦の日のことを8月15日と述べているだけです)
軍国主義が民主主義に変わり、米英がフレンズに変わり、財閥が解体され、農地解放が行われたような激震が2度目の8月15日を境に起こるのだろうと思っているのだ。もちろん市場も同じだ。その時にどう備えるかを書いたのが、今回上梓した「マネー避難」(幻冬舎)である。
2.おととい(6月19日(日))の日経新聞9面、論説副委員長の実哲也さんの書いた中外時評「『国際村』が崩壊する日」は必読である。「国の債務の相対的な規模ではギリシャよりひどく、先進国で最悪の財政状態にある。格付け機関による格下げや格下げ検討も相次ぐが、国債市場はどこ吹く風だ。(略)にもかかわらず、そのための行動をだれも起こさず、市場でも静けさが支配しているのはなぜなのか。(略)銀行の国債保有額は増え続ける一方だが、彼らが意識しているのは目の前の利益のみ。2,3年先は遠い未来で、考えても無駄と見ている印象を受けた。(略)危機は来るかもしれないがあすではあるまい。そんな弛緩した気分が渦巻いている。(略)運命共同体でもある「国債村」の住人は財政の将来が心配だからといって国債売りに走ることはまずない(略)危機が起きても「想定外」の言い訳だけはできない。」
私はこの説に、おおいに同意! なのだがもっと情勢を厳しく見ている。国債大崩れは2,3年などという先の話ではないと思っている。まず第1に1987年の時も、1998年の時も、
「国債村」の住人が国債売りに走り、相場が大崩れした。1987年に4カ月で2.55%から6%まで急騰したのは「国債村」の住人が国債売りをしたからである。1998年12月に1カ月で0.6%から2.4%に急上昇したのも「国債村」の住人が国債売りをしたからである。「国債村の住人は運命共同体で国債売りをしない」というのは誤解だと思うのだ。第2に今や国債市場は先物の方が現物債より断然に大きい。チョトでも危険の匂いがすれば、世界中の年金資金がヘッジファンド経由で怒涛のように国債市場に参入する。喜んではいけない。売りでの参入である。年金資金の目的はどこかに資金を置くことではない。年金資金を増やすことだ。増えるのであれば全額金庫に入れておいてもいい。世界中の年金資金は大方の資金を金庫に置いておき証拠金で債券売りを仕掛けてくるであろう。
3.昨日(6月20日(月))の日経新聞22面、浜田宏一エール大学教授とRクーパーハーバード教授の共著の経済教室も必読である。
「今、日本で一番必要なのは金融緩和である。日銀による国債の買い上げや引き受けを通じて実施すればよく、円安を導く政策である」
金融緩和が重要であるとは日本人の識者の何人もおっしゃっているが、彼らはなぜ金融緩和が必要なのかが分かっていない。私が昔から主張し続けているように金融緩和は円安を導くために必要なのだ。浜田教授とRクーパー教授は、少なくとも私の理解では、この論文でそう強調している。逆のいい方をすれば日本経済を回復させるためには金融緩和でなくてもいいのだ。どんな方法であれ円安にすればよいのである。
私は「マネー避難」(幻冬舎)の中で「日銀の国債引き受け」しか復興資金調達法はないだろう、と書いている。禁じ手でも、やらざるを得ないのだ。低濃度汚染水を海に流すのは禁じ手のはずでも政府が認めたのと同じである。「引き受け」が無理なら国債未達に至るだろうとも書いている。いずれにしても円は急落である。しかし、それがワークして日本は将来、経済大回復をするとも予想している。しかし、残念ながらその回復は我々の子供の代まで待たなければならないのだ。円安政策にもう少し早く取り組んでいたなら事態は格段に良かったはずだ。為替は動かせない、と思いこんでしまったのが日本の不幸である。為替は動かせる。そうでなければ「通貨戦争Currency War」などと言う言葉が世界のマスコミで使われない.意図的に動かせるからwarというのである。
4.この期に及んで、民主党では100人ぐらいが消費税上げに反対しているそうだ。ここまで財政が悪化しているのに、人気取りばかり考えているようでは責任ある与党とは言えない。市場が反乱するであろう。
(フジマキな日々)
1.6月23日(水)幻冬舎より「マネー避難」(1000円)を出します。よろしくお願いいたします。前回、22日に発売開始と書きましたが、大手書店でも並ぶのが22日夕方になるそうです。ですから実質23日発売となります。
震災直後、私自身が自己破産の恐怖を味わいました。多くの方々は気がつかなかったかもしれませんが、私が感じた恐怖は多くの日本人に共通するリスクのはずです。なぜ自己破産のリスクを感じてしまったのか?その恐怖を2度と味あわないためにはどうしたらよいか?私自身が震災後に痛感したこと、そして実行したことを含めて書いてあります。本を既に送った友人からは「不況、地震、原発を踏まえて今後の日本や自分の生活をどう考えていったらいいか頭を整理することができました」とのメールもいただきました。よろしくお願いいたします。
2.今週火曜日発売の週刊朝日「案ずるよりフジマキに聞け」は「電力も『国産』を増やそう』と言うタイトルで「デビュー作『外資の常識』を出す直前、酒場で『タイトル談義』をした。オオニシ先輩からは、「相場中毒」「これでも支店長」などが提案された。モルガンのうら若き女性陣からは
「さらば相場」「黄昏の相場師」が提案されたあと、酒に酔った勢いで出てきたのは「老人と相場」「入れ歯と相場」。君たちはそんなに私を老人扱いにしたいのか?たしかに私の上の歯は差し歯だが、断じて入れ歯ではない。却下!ということで編集者案のまともな題名となった。ところで、6月22日「マネー避難」(幻冬舎)という本を出す。」で始まります。よろしくお願いいたします。
3.週刊朝日のホリエモンの連載は今回で一時休止ですが、それでも時々、「獄中日誌」が出るそうです。これは人気がかなり出ると思います。私のコラムは今までは「ホリエモン」の次に出ることが多かったのですが、今後とも是非この地位をキープしたいと、今日ほど強く思った事はありません。ホリエモンを読んだ後、間違えて私のコラムを読んでしまう人が増えることを祈りつつ。これから私のことを「小判鮫フジマキ」と呼んでください。
4.フジマキタケシの1週間
6月14日(火)
オーストラリアニュージーランド銀行(ANZ銀行)さんからご招待(@丸ビルのモナリザ)を受け、秘書の山田と出かける。ANZ銀行さんには5月26日に東京で講演をさせていただいた。また7月にも名古屋(1日)、大阪(15日)と講演をさせていただくことになった。モナリザはミシェラン1つ星のフレンチだそうで、皇居に面した36階にあり、おいしい料理とワインと夕方から夜景への景色の移り変わりを堪能。
上の写真、左から、鍵谷上席部長、上西本部長、長堀部長、山田部長、山鳥さん、秘書山田、藤巻、落合部長。

2次会では六本木のケントスへ。ここは60年代の歌のライブ演奏に合わせおじいちゃん、おばあちゃんが踊るところ。
モルガンが有楽町にあった頃、私がよく行ったケネディー・ハウスに似ている。ケネディー・ハウスはやはり60年代、70年代の歌のライブハウスで最前列に座っているおじいちゃんが、つるっぱげ頭にネクタイを巻き、若い女性歌手が「かわいいベイビー」と歌うと「ハイハイ」と合唱する、なんとも表現しようがないところ。
ただケントスでは踊りOKの一方、ケネディー・ハウスは立って踊ることは禁止。私は「お客さん、お客さん、興奮して立ちあがらないでください」とよく怒られた。
ケントスの女性ボーカルはゆきえさん、人気が高いらしい。
この店には某元大臣たちが来店したこともあるとのこと。
6月15日(水)
近所の美容院へ。床屋から美容師に変えたのは数年前。光文社のカバー写真の時についてくれたヘアー・メーク・一人(カズト)君の技術が気にいったので、彼に家に来てもらっていたのだが、彼がロンドンにヘア・メークの勉強に留学してしまったので、家内が行っている美容院に変えたのだ。ただ美容院で女性の間に交じるのは、さすがにこの歳ではちょっと恥ずかしい。慣れるのに少し時間がかかるだろう。午後、リクルートが創刊する雑誌「大学の約束」のインタビューを受ける。一橋大学の非常勤講師、東洋学園大学の評議員として「大学教育についての思い」等をしゃべらせていただいた。
6月16日(木)
車検に出していた車をピックアップした後、ETCを入れ忘れて首都高の入り口に進入。進入禁止の表示が出た時、あれ、なんだろうと思った後、すぐ気がついたのだが、すでに進入済みで後続車もおり、進入路とはいえ停車は出来ず、そのまま、しかたなく本線へ。この入り口は進入路がえらく短いせいだと思うのだが、絶えずバーが上がったままなのでバーにブロックされることがないのだ。オフィスについてから首都高のコールセンターに電話して事情説明。すると「ご連絡ありがとうございました。1700円チャージいたします」(通常は700円)とのこと。ショック。確かにETC忘れて進入した私が悪いのですが、正直者にもう少しご配慮を。
14時から東京金融取引所のクイック225(株オプション取引)関係の取材。
16時に拙書「マネー避難」が刷りあがったとのことで、幻冬舎四本さんが来社、挨拶を受ける。
19時からは札幌のお医者様・荒木先生が学会で東京にいらしていたので家内アヤコを交えて夕食@八雲茶寮。話が弾み飲み過ぎ。

6月17日(金)
9:00歯医者(注・週刊朝日に書いたとおり、さし歯の治療。断じて入れ歯ではない)
夕方、高校の後輩で財務省のお役人の方の訪問を受ける。
6月18日(土)
お医者さんの奥様とお嬢さん、元高級官僚夫婦そして我が夫婦という我が家ご近所3組と元高級官僚の友人夫婦の計4組で高松へ。高松空港で高松財界のマドンナ・公認会計士の千晶さん(私の大学のゼミの後輩)率いる8人と合流。車5台で吉野三郎こと日本3大急流のひとつ吉野川へ。まずは今回の旅行のメインテーマの一つであるラフティング By (有)safari。
事前の「自己責任」の説明を聞いているうちに顔がこわばっていくメンバーも。しかし、最初の激流を、ワーァ、ァ、ア!!キャー!言いながら無事超えた後は、あとは皆、楽しさ満喫。
2,3年前に来た時は、ガイドが急流で飛ばされて、私の目の前を人間大砲のように飛んで行くのを見て、わ~、人間も空を飛ぶのだ、と感心したものだ。
↓の4枚は数年前の時のもの(今回天気が悪くラフテイングの画像が鮮明でないため)また激流を超え、視界が開けたら、前に座っていたはずの千晶さんがいなかった、というように激流で落ちた人もいたのだが、今回は、無事誰も落ちなかった。
そのかわり流れが緩やかなところでは、もう海戦そのままの川の中への落としっこ。私も5度ほど落とされた。まるで修学旅行の夜のまくら投げの様相。60歳前後の爺さん・ばあさんがここまで、無邪気に騒ぐかね?と思うほど乗りまくりだった。大学教授、とってもえらかった元高級官僚、お医者様、地銀元幹部、公認会計士、会社社長など普段、超まじめな顔をしていると思われる人達が、こんなに無邪気にしているのを見たら、部下や学生、患者さんたち等は、皆、目を疑うだろうな?と思った次第。ちなみに私も、一度羞恥心の限界を超えると乗りに乗るほうだ。で、時々、羽目を外し過ぎてアヤコに怒られる。仕事関係の集まりではないから、皆がこれだけ無邪気に騒げるのかもしれない。
ラフティングの後は、私の大好きな日本3大秘峡の祖谷温泉のホテル祖谷温泉へ。雨にぬれた緑が鮮やか。雲が山の間からわき出てくるところが、これまた素晴らしい
↓典型的なV字谷。

露天風呂を堪能した後、19時より17人で宴会。
その後、20時半にホテルが出してくれたバスで、ライトアップされたかずら橋や琵琶の滝、そしてホタル見学。ホテルの浴衣とスリッパのままで宴会場から直行。秘峡だからこそ出来るプライベート感覚。
バスツアーから帰ってきた後、再度、粗谷温泉ホテル植田社長のご厚意で閉店後のレストランを使わせていただき2次会。本来なら自宅のある高松に帰るはずだった植田社長(料理やお酒を差し入れくださった)を無理やりお引き留めし、2次会に参加して頂いた
↓ 社長の植田さんと。
ちなみに植田社長は、このプロパガンダの愛読者でいてくださるそうだし、普段高松にお住まいなので今回参加の高松財界の重鎮たちとも懇意にしていらっしゃるそうだ。
誰かが今回の旅行を「修学旅行」と名付けた。とたんにチャチャがはいった「うるさい修学旅行だな~。普段から自己主張の強い人ばかりの集団で、明日はどこへ行きたい、あそこへ行きたい、と引率の先生は大変だな~」
夜も更け散会。
6月19日(日)
朝1時間以上、露天ぶろを堪能。風呂の中でのI教授の「四国は北海道等と比べると狭いと思われているかもしれませんが、四国は起伏が大きく表面積からいったらかなり広いのですよ」のレクチャーにえらく納得。

朝食後9時半に車4台で観光に出発。剣山登山計画もあったのだが、雨模様なので観光に変更。元地銀幹部で、この地を知り尽くしているOさんが綿密にたててくださった計画であるから、ポイント掴みに間違いがない。なにせ日本3大秘峡なので車もすれ違えない道を1日中運転(千晶さんの車を2日とも私が運転させていただいた。千晶さん、激務で眠そうだったので)なのだが、それがまた秘峡感を醸し出して別世界を堪能。
地元資料館、ソバ打ち体験どころ(そばと民謡を)、カカシ村、旧武家屋敷をめぐった後、2重かずら橋では、またまた無邪気に野猿で遊ぶ。
↓おばあちゃんはかかしです。



↑ 野猿
讃岐うどんを食べた後、空港で解散。次回はニセコ・スキー案も出ていた。
我々はさらに高松駅まで送ってもらいマリンライナーで今回の最若年参加者のM君とともに岡山へ。新幹線で夜京都へ。京都泊。
6月20日(月)
雨。朝一番で平安神宮に入り、誰ひとりいない静かな神庭を45分間も独占(観光バスが着き人が入ってきたので撤退)



花ショウブ、スイレンはアジサイ同様、雨の日が良い、とは綾子の弁。他の花ばなは太陽が照っている時の方が美しいがアジサイと花ショウブは別とのこと。その後、しょうざん(東京でいうならば,八芳園みたいなところか?)の渓涼床で昼食を食べた後、源光庵、光悦寺を拝観し、弟がビジネスを一緒にやっていたモリカゲシャツでシャツを買ってから帰京。
今回の旅行は中身が濃かった。
