(ここに述べる意見/分析は日本維新の会の公式見解でも分析でもありません
私の個人的見解・分析であることをご理解ください)
1.「長年にわたって展開してきた放漫財政と日銀の異次元緩和の深刻な後遺症が高インフレの放置という形で国民に付け回され始めている」
以下、7月15日にアップされた元日銀マンで現在、日本総合研究所調査部主席研究員の河村小百合さんの論考。昔からだが、私の考え方とほぼ同じ。黒田日銀以前に日銀に勤めていた私の友人たちは、ほぼ全員がか彼女や私と同じ考えを持っていると思っている。
参議院選挙後の円、日本国債の暴落(=長期金利の上昇)には十分すぎるほどの注意が必要だ。
「こうした物価高が止まらない最大の理由は何よりも、日銀の金融政策運営にある(前掲図表3)。日銀の場合、消費者物価総合の前年比が3.5%にも達しているのに、政策金利はいまだに0.5%にとどめており、実質金利はなお▲3%もの大幅マイナス状態だ。
その背景には、本来あるべき中央銀行の金融政策運営として、インフレ抑制のために相応の利上げをすれば、政府にとっての国債の利払費が増嵩し、財政運営の継続が困難となりかねないほか、日銀自身の財務も悪化して赤字や債務超過状態に陥り、財政運営の悪化と相まって円の信認がさらに揺らぎ、大幅円安を引き起こしかねない、という懸念があることは間違いないだろう。
日銀の金融政策運営がこのような状態では、いかに政府が財政運営を通じて物価高対策を講じても、また、賃上げが一定程度進んでも、肝心の物価高、インフレが止まることはなく、財政の悪化傾向ばかりが増幅されることになりかねない。
我が国がこれまで長年にわたって展開してきた放漫財政と日銀の異次元緩和の深刻な後遺症が、高インフレの放置という形で国民に付け回され始めているのだ」
「冒頭でも述べたように、ここもと、我が国の財政運営に対する海外の視線は厳しさを増しており、海外の主要メディアでは、我が国の財政運営の先行きを懸念する記事が、従前になく目立つようになっている」
https://courrier.jp/news/archives/407151/
2,「国際都市研究学院での講義」
12日の土曜日は、大蔵省勤務、政策研究院大学院大学に移られた松谷明彦名誉教授に乞われてここ数年、毎年2コマずつ行っている政策研究院大学院大学内の国際都市研究学院での講義。
講師陣は早々たる面々、私一人、ちょっと肩書の格が落ちるかな?
3.「老老ガイド」
先週、あまりの暑さに釧路へ。北海道は福島町で新聞配達の方が熊に襲われたということでテレビは連日、熊の報道。そこで釧路湿原のトレッキングでは熊が怖いので、守ってもらおうとガイドを頼んだ。ところが、ガイドさん開口1番「私、この中(家内と3人)では一番歳をとっていますので、何かあったら助けてくださいね」ですと(笑。もちろん冗談)。老老ガイドとなりました。もっとも釧路湿原だと熊も体重が重すぎ沈んでしまうので出没しないとのこと。
翌日、カヌーのガイドさんに聞いたら、この老老ガイドの小林さんは、釧路湿原のレジェンドと言われる方で、カヌー、トレッキング、空からでも何でも、ござれの方で、写真家でもあるとのこと。陽気で博識の楽しいお爺さんのセカンドキャリアかと思っていたのだが、そんな方とは知りませんで、失礼いたしました。
2日目は釧路川をカヌー。
4.「熊注意」
北海道も(先々週で掛けた)那須も、マーケットも熊であふれかえっている。
月曜日からのマーケットでも熊の出現には重要注意。
ちなみに熊は攻撃するとき、爪を上から下に振り下ろす。したがって弱い(価格が下落するマーケットのことをベア(熊)マーケットといい、価格が上昇するマーケットを雄牛(ブル)マーケットという。
5.「自己責任の米国VS国民を大人扱い出来ない(=規制過多)日本」
数年前、釧路郊外の牧場内にある宿泊施設を見つけ「ここはいい。涼しいし、毎朝、乗馬体験をしてリラックスだ、毎年ここにこよう」と思ったところ「乗馬は65歳以上お断り」とのこと。余計なお世話、米国なら事故があっても「自己責任」の契約書にサインして、何歳でも乗馬できるぞ!人が乗馬するのをただ眺めているだけなら、逆にフラストレーションがたまる」と怒り、毎年の訪問を断念したことを思い出す。
今回2泊目に泊まったホテルの隣にやはりホーストレッキングをさせてくれる施設があったので「近くの牧場では65歳までだったんですか、ここもそうですか?」と聞いたら、「いいえ、65歳過ぎても大丈夫ですよ。74歳以下まで受け付けます」ですと。なに~2か月遅かったか~! 私はすでに6月で75歳に!
またまた、「自己責任の米国と、国民を大人扱い出来ない(=規制過多)日本」との差を痛感
6.「日銀釧路支店の移転」
釧路で1日目に留まったホテルの隣は日銀釧路支店だった。
ところが鎖が貼られ出入りが出来ないようになっていた。
「あれ~、ついに日銀つぶれちゃったのか?」と一瞬思った。
1998年、TV アナウンサーが「日銀がつぶれました」と誤読した時は、一瞬、昼寝していたソファーから飛び起きたが、すぐ「日債銀の誤りでした」との修正がはいった。あの時の私は日銀我つぶれるなど想像、だにしていなかったから、面白おかしい出来事としてとらえたが、今、又アナウンサーが同じように与原稿を読み間違えれば、事実を確認することなく即すべての円を売り払っていただろう(間に合うかはわからないが)。
1998年は「日本は財政破綻をするかも?」と思い始めていた時期ではあるがその後、日銀が禁じ手中の禁じ手に手を染め、つぶされる寸前まで来ているとは想像、だに出来なかった。
もっとも日銀がつぶれた後、新中央銀行は現日銀の建物をそのまま譲り受け業務をするとは思っている。ただし今の円は無効(=紙屑化)とし新紙幣を発行する。
ちなみに日銀釧路支店は旧建物から新たな場所に移転しただけとのことだった。