1.「いよいよか?」
植田和男総裁が次回の金融政策決定会合での利上げ是非について具体的に言及したため前場では円高、株安、長期金利高となった。いよいよ事態はここまで来たか?と思われる。
現在の経済状態(インフレ、資産インフレ)を考えれば▼2.5%の実質超低金利など考えられない。大幅に上げるべきだ。
しかし上げれば金融機関をはじめに日銀自体が危険に陥るから屁理屈を付けて金利を上げを回避してきた。しかし屁理屈はもう種が尽きてしまった。
12月に0.25%に上げると、ついに「受取利息」より「支払利息」の方が多くなる。本来の「通貨発行益」が「発行損」に替わる。こ回復の望みはない。今以上の大きな損の垂れ流しは難しい。「これが最後の利上げ」との認識がマーケットに広がれば円安防止の手段は枯渇し、円安は加速する。
物価上昇は加速するから長期金利はさらに上昇するだろう。ましてや財政膨張が予想されるから国債発行も増加するからだ。長期金利がさらに上昇するとなると株価も下落に転じざるを得ない。弱小金融機関は危機に陥るが、それ以上に危ないのが日銀自身だ。ドカ貧が来る可能性が大きい。
だからと言って、12月に利上げをしないとなると日銀の機能不全を世界に知らしめ、円安は加速していくことになるだろう。マスコミやマーケットが12月利上げを強く予期していながら、利上げがなされなかった場合は、衝撃が強い。
いずれにしろ、日銀は万事休す、最終ステージに入ったと私は思う。早くドルに換えておかないととんでもない人生になってしまう。
2,「藤井京大教授は科学的なのか?」
先日、参議院のデフレ脱却調査会での私の質問に対する藤井京大教授の答弁がぶっ飛んでいると書いたらその議事録を「ミーやん政治さん」が探し出してきてくださった。
以下、その返信。
「ミーやん政治さん。ありがとうございます。2014年に参議院のデフレ脱却調査会で参考人として呼ばれた藤井京大教授に私が質問したときの教授の答弁ですね(参議院議事録)。土木専門の教授が国債市場は絶対に暴落しないと(教授がおっしゃる科学的根拠で)説明されています。藤井教授を参考人としてどの党が呼んだのか?呼ぶ方も呼ぶ方ですが、藤井教授のドドドドド素人ぶりには今読み直しても笑ってしまいます。ちなみに4〜5年前に30年債、40年債を買った人は値段が半分近く(ひょっとすると半分以下)になっていてあたふたとしていると思います。まだ暴落とは言えませんが、藤井教授はご自身の科学的調査のどこが間違っていたと今説明するのでしょうね?」
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=118614332X00220140226&spkNum=15&single
3、「何、このリツイートby 高橋洋一氏」
高橋洋一氏 X にいわく「金利が上がっても、円安になっても、日本財政には影響なし。 金利が上がって利払費は増えるが、資産の金利収入も同じ程度増えるので、チャラ。円安10円で税収2-3兆円アップ、外為特会含み益15兆円程度アップ」
以下のようにリツイートした。
「なにこれ?円安になって長期金利が上昇すれば天文学的な債務超過で日銀はつぶれますな。日銀の信用とその発行する通貨円の信用は地に墜ちる。円は紙屑化。ハイパーインフレ。よって、インフレ税によって、確かに「財政は大丈夫」どころか「究極の財政再建」にはなりますが(=日本の財政には万々歳)国民は地獄。給料、年金は毎月上がるがパンの値段は毎時間上がる。給料もらった翌々日にはお金が尽きる世界です。」
4,「元日銀理事 山本謙三さんの論考」
元日銀理事 山本謙三さんが本日、ホームページを更新した。必読!全くおっしゃる通りもいいところ、だ」
「国会自らが定める財政法の形骸化が一段と進んでいく。この国はどこへ向かうのだろうか」
「経済学では、物価の上昇を抑えるには、需要の抑制か供給能力の引き上げが必要とする。ただし、供給能力の引き上げには時間がかかる。したがって、物価高に対抗する経済政策は、金融の引き締めと財政支出の削減が中心となる。
しかし、今回の総合経済対策は、『物価高対策』とは真逆の需要増強策ばかりが並んでいる」
「政府みずから物価を押し上げながら、国民の不満を財政支出で和らげようとする『自作自演』の感が否めない。『責任ある積極財政』の旗印とは異なり、『積極財政』に偏った経済政策運営と見える」
「なお、足元、総債務残高の対GDP比が若干低下していることを眺め、財政健全化が進んだとの見方があるが、これは単に物価の上昇が進んだに過ぎない。」
「なんといっても、日本は、総債務残高対GDP比で、世界1,2位を争う国である。それだけ公的部門が肥大化している。活力ある民間経済を取り戻すには、この比率を現状の半分程度まで押し下げる必要がある。従来の目標(『PBの黒字化』や『総債務残高対GDP比の引き下げ』)は、真の財政健全化目標である「総債務残高の縮小」に向けた一里塚に過ぎない」
5.「[日経新聞社説]大型補正で金利上昇・円安は大丈夫か」
以下は12月28日の日経新聞の社説だ。日経の論説委員は経験も積んできているからか、まともなことを昔からいう。
「税収が増えたときに債務依存を強める選択は理解しがたい」
「日本の政府債務残高のGDP比は20年をピークに改善を続けている。とはいえ、23年時点の240%は他の主要7カ国(G7)で最悪のイタリアの135%よりもはるかに悪い。日本の数値改善(藤巻注:債務残高/GDPの数値の低下を政府目標とする)が分子の債務の減少ではなく分母の名目GDPの伸びに頼る点も問題だ
国民が広く負担する『インフレ税』で実質的な債務を薄めつつ、将来世代にツケを先送りするのでは「責任ある」とはいえまい。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK286OZ0Y5A121C2000000/
6.「フジマキもド素人か?」
土木が専門の藤井京大教授は金融の世界で珍説を披露するな。国を誤らせる」とp先日ツイートした羅、昨晩、以下のリツイートが来た。
「貴方も金融機関に勤めていただけでマクロ経済が専門では無いでしょ?研究とかした事あるんですか?アンケートがエビデンスにならない事はないですよ」
以下のように返信した。
「私がやっていたことは、ヘッジファンドのグローバルマクロと同じ。大雑把に言うと景気が良くなると株が上がり債券価格が下がり、通貨がつよくなる。景気が悪くなればその逆。それをデリバテイブのインデクスで勝負していた。いわばエコノミストのような景気分析と、ガッツが無ければ出来ない仕事。ほぼ米銀だけがやっていたオペレ―ション。それもボルカールールで、今は米銀はヘッジファンドに仕事をスピンアウトさせた。この仕事をやっていたのは歴史上、日本人では私ひとりと認識している(今、グローバルマクロのヘッジファンドで大きな勝負をさせてもらっている日本人がいれば別だが)。
マクロ経済動向がわからないと大損する仕事。マクロ経済分析で飯を食っていたともいえる。しかも冷や汗をかきながら、JPモルガンの儲け頭だったのだが。
それでもプロでないというか?知らないくせに、ちゃちゃを入れない」。
7,「英国中央銀行の論文とド素人のナンじゃら教教祖様の珍説とどちらを信じるのか?」
昨晩、、以下のリツイートが私のX に来た。
「通貨主権国である日本に、外貨建て債務国の破綻モデルを適用した瞬間、氏の議論は因果関係の議論ではなく、制度前提の誤用になる。前提を間違えた議論は、結論がどうであれ成り立たない」
以下の回答をした。
「そうですか、それでは数年前に発表された英国中央銀行の論文は、間違った議論をしているわけですな。」
8.「ソ連崩壊を昔から警告した人と前日に警告した人はどちらが評価されるべきなのか?」
昨晩、以下のリツイートが私のX に来た。
「この人によると、日本は破綻寸前が10年以上続いている。いつ破綻するんだろうな。 日本では不安を煽る言動の方がうける。ワンチャン破綻したら鬼の首をとったように当てたと言える」
以下の回答をした。
「ソビエト連邦は崩壊した。計画経済は長続をしないからすぐに体制を改めるべきだと設立当初から警告を発していた人は狼おじさんで、それまで何も言わなかったのに崩壊前日に「計画経済はダメだ。崩壊する」と大きな声で公言した人は時期を明確にとらえて警告した素晴らしい愛国の士なのですね。私はそうは思わないけど」。
9.「日銀当座預金残高を無利子にしたらどうなるのか?」
昨晩、以下のリツイートが私のX に来た。
「日銀会計と企業会計一緒と考えても意味のない論調んじゃない? 受取利息と支払利息って言うなら日銀当座預金の利息を本来の姿(無利息)に戻せばいい」
以下の回答をした。
「あ、そう。日銀当座預金の利息を無利子にすれば(=政策金利をゼロにする)、円は暴落、物価暴騰。民間銀行は倒産し、貴兄の銀行預金も霧散」
10.「高校クラス会」
土曜日は高校のクラス会@表参道。
45名の内、既に6名が亡くなったが、うち20名弱が出席
我が東京教育大学附属高校(現・筑波大付属高校)は私が在学中に、サンデー毎日に「遊んでいて東大に入る高校」との特集で紹介された。確かに、たばこは禁止だったが、パチンコ、麻雀何でも、ござれだった。思えば3年生の時は雀荘の行きがけに学校に来ている人も多かった。当時は16歳で軽自動車の免許が取れたので、スバル360で通学してくる生徒もいた。校庭の片隅にスバル360が3台停まっていた(ただし、オートバイは禁止)
教室で、麻雀をやっていたら担任のゴム天(後村上天皇に似ているというところからついたアダ名)が血相を変えて飛んできた。『教員室で階上がうるさい』と話が出ているぞ。これからは本物のパイではなく紙麻雀にしろ」と怒られた。
「サンデー毎日」のタイトルを信じ切って遊びふけった私は東大に入れなかった。そこでやっと気が付いた。「遊んでいて東大に入る高校」ではなく「遊んでいる人と東大に入る人が混在している高校」だったのだ。
「遊ぶ人の集合体」と「東大に入る人の集合体:は別の集合体でその集合体はダブっていなかった」のだ。
ちゃんと勉強していた人の多くは学者になった。
今、生きている39人のクラスメートには元大学教授が8人いる。我がクラスにはあまりいないが、官僚になった人も学年では多かった。3人が各役所での事務次官になった。日銀入社は20名中、稲葉現NHK 会長を含め4名が我が校出身者だった。
(↓)教授3人の高尚な(?)なお話に加わった凡人フジマキ。私が加わって話の質を落としたかな?

11,「クラス会での話題」
クラス会が始まった途端に盛り上がった話題は「フジマキは1年の時、石内スキー場で足を折った」との話だった。「別にスピードをだしていたわけではなかったのにボーゲンで道から落ちて、あれ~見えなくなっちゃったと思ったら足折っていた」と説明したのは宮本教授。今でも覚えているが彼はすぐ私に「バタープリッツ」とのあだ名をつけやがった(笑)。
ちなみに大学受験の時、担任のゴム天は「クラス全員の人物評を書くのは骨だから、名簿の前後の人の人物評を書け」と生徒に指示した。宮本教授は私のことを「優しい。特に女性に対して。花を愛す」と書きやがった(笑い)。ちなみに花とはチューリップのことで、当時のパチンコ台は、チューリップ全盛だったのだ。
「フジマキの骨折のおかげで1日早く帰京せざるを得なかった」「特急で帰らざるを得ず、金が余暇かかった」「上野駅で、通りすがりの人に『行は好いよい、帰りは怖い』と歌われてしまった」「フジマキはケチってセイフテォーを付けなかったから骨折したんだ」等々。皆、よく覚えていやがる(笑)。
学校が始まったら、担任の故ゴム天(現代国語の教師)は、毎回「ク、ク、ク」と笑ってから授業の最初に必ず私を指名し6か月先の単元だったはずの「石内の雪」を速めて取り上げ、毎回、私に音読させた。それから授業を始めたのだ(ユーモアに富んだ最高の教師だった)まああああああああー、懐かしの高校生時代。

12.「骨折余談」
- ところで、この時、石打スキー場診療所に新潟大学医学部から派遣されていて、
私の御応急処置をしてくれた若い医師も「フジマキ」という名だった、こちらがヒイヒイ言いながら痛みに耐えていたのに「エ、君もフジマキっていうの?珍しいね~」と豪快に笑った。「ヤブ医者じゃないか?」と心配になった。
帰京後、父に領主書を見せたら、父いわく「なんだ、これ、ワシのいとこじゃないか」と喜んでいた。私が痛がっているのにーー。
故藤巻悦夫先生はその後、東京の昭和医大病院の院長になられた。私も子供たちを何度か診察してもらった。しばしば石内での奇遇の出会いのhなしになったものだ。名医でした。
- 骨折にもめげず、大学では入学早々、体育会スキー部に入ったが3か月で退
部した。かっこいいアルペンをやるつもりだったのに、ティスタンスチームに入れられたからだ。凍った鼻水たらしながらゴールする距離競技も嫌だったし、ましてやジャンプなど怖くて死んでもやりたくなかった。
当時の一橋大スキー部は3部校だった。隣で地元の小学生がポンポンとんでいる30メートル級の台で我々3部校の学生は着地で立てれば6位入賞確実だった。
その30メートル級ジャンプでも高所恐怖症の私にはとても耐えられなかった。それで辞めた。
- 女子大に入った妹は、最初グライダー部に入ろうとしたが、我々に一度も怒っ
たことがなく、命令したこともなかった父もこの時だけは反対したのをよく覚えている。
「久美子は、いつもフワフワしていて地に足がついていないのだから、せめてクラブだけは地に足が着いたものにしてくれ」と。


