「オヤジとオフクロ」

2019年07月12日

【参院選2019 全国比例は維新の藤巻健史へ】藤巻健史の父

 

本日は私の大好きだった父の誕生日。生きていれば100歳近くだが、2003年2月号の文芸春秋に依頼されて「オヤジとオフクロ」に書かせていただいた。

藤巻健史の父

藤巻健史の父2

 

「私の父は、左右違った靴を履き出社して、帰宅してからもまだ気がつかなかったことがある。フジマキならぬドジマキと揶揄される私、左右違った靴でテレビに出てしまった私には、確かに父の血が色濃く流れているのかもしれない。

 

ドジといえば、父の遭難騒動を思い出す。方向音痴の父は身延山の温泉宿から、浴衣のまま裏山に入り遭難してしまった。そして七日後に救出されたのだ。私の生みの母は、私が3歳の時に亡くなったのだが、その遭難は母の死直後のことであった。

地方紙はもとより、全国紙にも数行載ったそうだが、皆、心優しい父が、母の後追い自殺をしようとしたと思って大騒ぎしたらしい。もっとも、事実は父いわく「身延山にすばらしい混浴の温泉があると雑誌に出ていたので、急に行きたくなっただけだよ。幼い子供二人を残して死ねるわけがないだろう?」

 

幼くして母を亡くした私と妹は、母方の祖母に預けられた。その私たちに、東芝に勤めていた父は「藤巻パパ」としめ括った葉書をよくくれた。そして来週末には必ず泊まりに来てくれた。

土曜日の夜は父の横に布団を並べて敷き、寝物語に父の昔話を聞く。そして翌日の日曜日には動物園や遊園地に連れて行ってもらう。そんな週末が私にはとても待ち遠しかった。

 

ある週末一度だけ父が住む日吉のアパートに泊まりに行ったことがある。ところが、まだあまりに幼かった妹は夜中に「祖母がいない」と言って泣き出してしまったのだ。途方にくれている父を見た時、私も幼な心に父の心境をおもんばかり、悲しくなったものである。

それから約40年後、私が家内と子供たちを連れて旅行に出かけたときのことである。我が家の駄犬コマを横浜に住んでいる父に預けた。その時、一ヶ月前にコマが家を脱走し、渋谷で保護された話をしておいた。その翌日、父がコマを散歩させていた時、なんと首輪が抜けてコマが逃げ出してしまったのだ。

当時、心臓がいくぶん弱かった父に言わせると「頭の中で渋谷という文字がぐるぐるした」そうである。夢中でおいかけたところ、コマが人の庭に逃げ込んだ。父も無断で庭に飛び込んで探していたところ、その家の息子と思しき人に「人の家に無断で入り込まないでください」と怒鳴られてしまった。その家のご主人とは顔見知りだっただけに、なお一層かっこ悪く、ほうほうの体で逃げ帰ってきたそうである。

 

父は、大らかで心優しく自然体で生きていた。私も「親父さんの血が色濃く流されているのはドジなところだけだと言われることのないよう、少しでも父の生き方に近づきたいと思う。なんと言っても尊敬できる愛すべきオヤジだったのだから。」

 

(↓父に連れて行ってもらった馬堀海岸にて。)

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