(通常版)藤巻タケシの1か月

2020年02月05日

本文&付録(フジマキな日々)

今朝(2月4日)、私の「コロナウイルス騒動のマーケットへの影響」についての私の見解を書いています。この前の記事(臨時版)もお読みいただけると幸いです。

 付録「フジマキな被疑」は下のほうにあります。

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(↑朝陽がのぼると、すぐ当たるところに移動する我が家に居座る野良猫君)

(本文)

1.(週刊朝日)「虎穴に入らずんばフジマキに聞け」第273回

週刊朝日の連載は昨年11月末をもって終了いたしましたが、第273回では「日銀が債務超過に陥る日』というタイトルで書いています。昨年の4月5日号ですので10ヶ月前の文章です。コロナウィルス問題が深刻化すれば下記の内容は杞憂ではなくなります。2010年12月日銀が株のETFの購入を開始し始めた時、私はブログに「1万円札の図柄は、今に(当時の)福沢諭吉先生からトヨタレクサス変わってしまうぞ」と揶揄したものだ。金本位制の頃に発行銀行券(=紙幣)の価値を担保するモノは金(キン)だった。管理通貨制度に変わった後も中央銀行の保有資産の健全性が極めて重要なのは言うまでもない。にもかかわらず株を大量購入すると発行銀行券の価値は株価によってかなりスイングするぞ、と言いたかったのだ。

★      ★

株価の変動により中央銀行の資産の健全性が損なわれるのはまずい。健全性が損なわれれば、中央銀行の信頼が崩れ、その発行する通貨の信頼も地に落ちる(=通貨暴落)からだ。その事態を鑑み通常、中央銀行は株を保有しない。先進国の中央銀行の中で、金融政策目的で株式を買っているのは日銀だけだ。

〔中略)

「どのくらいで日銀保有のETFが評価損になるか」の新聞記事が出始めた。3月12日の参院財政金融委員会では大門美紀史議員の質問に対し、日銀は「日経平均株価が1万8000円程度を割り込むと保有ETFの時価が簿価を下回る」と認めた。そこで私も、「他の条件が一定の場合、日経平均がいくらで日銀は債務超過に陥るのか?」と25日の予算委員会で聞いてみた。黒田総裁は「国債の利息収入やETFの分配金等の収益等他にいろいろな要因があるから答えるのは適当でない」と答弁を避けられた。数字が一人歩きをしてしまうのを懸念するのはよくわかる。しかし、「他の条件が一定ならば」という条件なのだから、わざわざ隠さなくても、計算は小学生にでもできる。昨年9月末の24,000円から18,000円への下落で7.2兆円の評価益が吹っ飛ぶと言っているのだから、1000円当たり1.2兆円の評価損だ。それならば、評価益7.2兆円と引当金・準備金の合計8.4兆円を合わせた15.6兆円が吹っ飛ぶのは13,000円の下落、すなわち11000円レベルということになる。

〔中略)

リーマンショック後の2008年株価の終値は8,859円。もしリーマンショック級のショックが来て株価が当時と同じレベルまで急落すれば日銀は債務超過、倒産の危機が来てしまう。異次元緩和が始まる前年(2012年)末の日経平均は10,395円。異次元緩和を行って、もし今後、失敗に帰し株価がスタートラインに戻っても日銀の債務超過、倒産のリスクが出てきてしまう。そんなリスクを背負ってまで日銀は株の世界に踏み込んでよかったのだろうか?黒田総裁の顔色が優れないように見えるのは気のせいだろうか」

  • 2.夏季五輪VS気象変動
  • 以前も書いたが、天文学になった高校の同級生は、(科学者らしく明言はしなったが)温暖化の最大要因は地軸の傾きの変化ではないかと考えているようだ。地軸が少し傾くと太陽に対する海と陸地の割合が変化する。それにより熱の吸収率が異なると言うわけだ。確かにCO2の排出という人類の営みとは次元の違うもっと大きな力が影響している気がする。ましてや彼がクラスメートの中でも、もっともまじめな男ではったりを言うような男でないことも私の感想に影響している。さらにCO2はビジネスに結びつくが地軸変動では金にならないという事実もCO2温暖化元凶説に組したくない理由だ。しかしこれは単なる素人の個人的感想に過ぎず、声高々に主張するつもりは無い。素人が間違った理屈を、専門家ぶって説き結果として人災を招くことを金融の世界で、嫌というほど感じているからだ。なお、そうは言っても人類が何十億年(?)かの間に蓄積した化石燃料を短期間の間に使い切ってしまうことには疑問を持つ
  • https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/summer-olympics-host/

 

(付録)フジマキな日々

1.うれしかったこと

1月24日に行った勉強会に40代後半の大学の先生が参加しくださり、「藤巻さんのデリバテイブの講義が強烈で、あれが契機で大学の先生(経営学部)になりました。今、デリバテイブを教えています。あの講義が今まで聞いたデリバテイブの授業の中で一番面白かったです」とおっしゃってくださった。これは、うれしかった。人に教えるのは、あまり性に合っていないと思っていたが、この先生の発言には、報われた気がした。しかし、その先生が私の授業を聞いたのは30歳の時だとのこと。もう20年近くも立ったのか~。私も年取ったな~と思ったのも事実だ。

2.忘れっぽい性格

私は物忘れが激しい、というか暗記力が弱い。これは受験の時は非常に不利で、悩んだものだが、大人になってからは、ありがたい。まずディ-ラーとして成功した理由の一つだ。物覚えが良くて、負けた記憶をいつまでも引きづっているとディーラーは間違いなくノイローゼになる。私にはその心配がない。大好きな山本周五郎の本等、何度読んでも新鮮だ。毎回、初めて読んだような感激がある。その話をしたらオオニシ先輩曰く、「それなのに、なぜ円安とかハイパーインフレという言葉だけは忘れないんだよ?」ですと。あと、女性に振られた記憶は、いつまでも覚えている。ディーリングで負けるよりつらかったのかも(苦笑い)?「フジマキは、高校の頃、いつも『おあずけ』を食らっている犬のような顔していたものな~」とコバヤシだったかトミタだったかに言われたことがある。

3.落っこちている手帳はなに?

家内が食卓の横に落ちている手帳を見つけて「そこになにか生徒手帳みたいな黒い生徒手帳が、落ちているわよ」というので、「落ちてる」といえば、「議員手帳じゃないの?」と冗談言ったら、本当に議員手帳だった(あちゃ~)

4.壬生さん

昭和25年生まれの会である「虎の会」に出た後、壬生さん(昭和24年生まれ)が、ジャズバンドでベースを弾いているというので見に行った。将来、ひょっとすると、肩など組むと不敬罪になるかもしれない立場になられるかもしれない。。だから肩を組ませていただいて「はい、ポーズ」。壬生さんと、初めてお会いしたのは、三井信託銀行ロンドン支店に赴任した直後。ひょんなことから、ウインブルドンで「マッケンロー対コナーズ」の決勝戦を1ゲームずつ皆で替わりばんこに見させていただいていた。その時、一人が「明日は爺さんの会があるから週末、日本に戻ってくるよ」とおっしゃった。、え、爺さんのためにわざわざ週末に日本に帰るの?と不思議に思ったら、その爺さんとは昭和天皇だったのだ。壬生家は、今は皇籍を離脱しているが、戻る可能性もい無きにしも非ずだろう。ウインブルドンでお会いしてからしばらくはお会いしていなかったが、20年ほどして壬生さんが所属する丑の会(昭和24年生まれの会)で講演させていただいたことで再会。今では、時々、一緒に飲みに行ったりさせていただいている。IMG_6931IMG_6926IMG_6923

(↑ 何となく昭和天皇に似ていると思うのは私だけだろうか?)

5、検疫で捕まった記憶

コロナ・ウイルス騒動で検疫強化の話が出ている。検疫といえば、鳥インフルがはやり始めた頃、、オープンキッチンでの食事を目的に香港に1泊2日で行ったことがある。海外旅行で。家内と一緒の時は完璧に家内に「おんぶにだっこ」だ。その時はどこのホテルに泊まるかも聞かず、ただただ家内の後にくっついていった。飛行機を降りて空港内を歩いていたら、突然どこからか、2人づれの制服を着た警官みたいな職員に、がちっと両脇を固められ、びっくりした。麻薬でも持っていると疑いがかかったのか、と思った。「まさか、この国では麻薬保持は死刑ではないよな?」などの不吉な不安も頭をよぎった。もちろん麻薬など持たことも、吸ったこともないが、通りがかりの人が、逃走中に私の上着のポケットに投げ入れるという話も聞くではないか。小説の読みすぎかも?それに、家内は、その事態に気が付かず、どんどん先に行ってしまう。ここではぐれたら、泊まるホテルを探すのは大変だ。名前をきいてないのだから。帰りの航空券も自分では持っていない。恥も外聞もなく「アヤコ~!!」と大声で叫んでしまった。 別室に連れていかれ、英語が喋れる検疫官が来て理由がわかった。気が付かなかったのだが測定器で熱を測っていてそれに私がひっかったというのだ。尋問された結局、鳥インフル感染地には直近、行っておらず鳥インフル患者が発生していない日本からだというので解放になった。しかし入国拒否になっていたら、散々だったな~と、今になっても思う。 

6.ボルドーでの会議

家内と一緒の海外旅行は家内に「おんぶにだっこ」だが、名誉のために言うと出張の時は、当たり前だが、そんなことはない。なにせ一人でどこにでも行かねばならないからだ。一番まいったのは、「今年はフランスボルドーの片田舎のシャトーで資金為替部長会議をする、現地集合」との連絡が入ったときだ。資金為替部長はヨーロッパ人が多いから現地集合で何の問題もない。しかし私はフランス語は全くしゃべれないし、今みたいに「駅タン」のような交通ガイドもない。どこまでどの交通手段を使って、どう行っていいか想像もつかない。そこでボスに「来年は日本で会議をしよう。場所は岩手県北上市和賀町岩崎新田1地割22にあるホテル。現地集合」と書いた。それを読んだボスは、パリオフィス集合に変更してくれた。

7.入国拒否

入国拒否といえば、JPモルガン時代、研修でロンドン支店に半年間送りこむはずだったI君のことを思い出す。朝礼で抱負を述べて意気揚々と出発したI君。なんと2日後の朝礼に出てきて、皆からヤンヤの拍手を受けているではないか。ロンドンの入国審査で、「日本国債の取引に来た」と言ったので入国を許可されず、ヒースロー空港から日本へUターンさせられたのだ。アホ、「研修に来た」と言うんだよ。 

8.「医学知識検定試験」

以下、いつも夏、別荘に泊めていただいたり、お世話になっている中学・高校の後輩島田先生(東邦大学大学院消化器外科学教授、東邦大学大学院臨床腫瘍学教授(併任)、東邦大学大森病院がんセンター長)よりのご案内です。「4月12日(日曜日)の午前中に「医学知識検定試験」を予定しています。自助努力で医療の質を維持するための方策のひとつです。お時間が許す方、是非受験してみてください。

http://www.igaku.or.jp/

9.藤巻タケシの1か月

予定はスカスカにみえるが、テニスをする以外、ほとんど机に座っていた。ゆっくりする時間が無かった。これで議員をやっていたら完全にパンクしていただろう。支払い調書の作成、会社伝票入力、決算事務、不動産取引準備、依頼されている統計作成業務(どうして零細業務に毎年こんなに統計作成義務を負わすのだ?と思う)。その他、雑多な事務。残念ながら非生産的な仕事が多い。関係する会社の決算はほぼ終わりに近づいてきたが、それが終われば個人の日本と米国の確定申告等々。4月になれば少しは暇になるだろうと頑張るつもり。 

1月10日(金)

16:00-20:00 歌舞伎with 勝丸夫婦@新橋演舞場。勝丸ご主人は元高松高検検事長、元広島高検検事長、奥さんの千晶さんは私の大学のゼミの後輩。前四国公認会計士協会会長。その後、恒例になった如水会館で勝丸夫婦と我が夫婦との飲み会。 

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1月15日(水)

19:00-22:00 前東京女子医の副院長の川島先生夫婦とウインブルドン尾ロゴマークを作ったデザイナーの佐藤夫婦と新宴会@自由が丘 

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1月16日(木)

13:00-16:30 前日銀総裁の白川さんの講演会@如水会館。質問も2問させていただいた。 

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1月21日(火)

婦人画報連載第1回原稿書き。大阪に移動。

 

1月22日(水)

某会社の社員用セミナー@大阪帝国ホテル。600人社員を募集したら10日間で一杯。750名まで椅子をぎりぎり詰めての講演だった。 

1月23日(木)

サチ来宅。クーが大好きだった別当賀気に入った様子。

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支払調書報告者関係で税理士事務所へ。 

1月24日(金)

支払い調書提出。15:30― 古市歯科

17:00- 昔、弟・故幸夫と仲の良かった伊藤忠の田尻元常務(その後デサント社長)が主催する勉強会での講師を頼まれ、講義・討論会。IMG_6905

1月25日(土)

15:00-20:00 三井信託千葉支店OB会@千葉駅前日本海。IMG_6907IMG_6909

1月28日(火)

18:00 昭和25年生まれの会「虎の会」IMG_6912IMG_6915IMG_6918

(写真前列 右寄り古賀・野村ホールディングス会長、竹中・竹中土木社長、岩田・元アスクル社長、根津・東武百貨店名誉会長&根津美術館理事長。長谷川さん、芦原・芦原太郎建築事務所所長、藤巻・フジマキ・ジャパン社長、

後列右から塚本・元みずほ銀行頭取、大塚・元日本精工社長、宮沢洋一・参議院議員(小・中・高同窓、小・中9年間はクラスメート)、後藤・帝国データバンク社長、稲葉元日銀理事(中・高クラスメート、中学の時、稲葉君が図書委員長、私は図書書記長)、山田・元HSBC会長、竹井・クリストフリ・ジャパン会長、牟田・宮沢洋一事務所(私の小・中・こう同窓、小学校クラスメート)、柳井・元三菱商事副社長(私の幼稚園のクラスメート)

21:00 壬生さんのベースを聞きに行く。

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 1月29日―2月2日

3月18日に幻冬舎から出す本の校閲済み原稿が返ってきたので読み返し、再度のチェック、赤入れ、追加文挿入。

1月30日(木)

9:30-11:30 テニス 2ゲーム

   2月1日(土) 2月2日(日)

2日とも2試合づつテニス。我々のグループに元経済産業省事務次官の松永夫婦が仲間入りした。夫婦ともお上手。松永さんは、近所に住み、時々一緒に旅行する望月事務次官の後任。望月さんは指揮者の小泉和弘さんお追っかけという点も我が夫婦と同じ。