1,「なぜ日本銀行は、物価高が続いても大胆な利上げに踏み切れないのか」
5月19日 東洋経済オンラインに拙稿が載っています。
本来、日銀は政策金利を何度も引き上げてしかるべきで今頃は3%ほどであってもおかしくないはずですし、そうすべきです。
それなのに何故植田総裁は屁理屈ばかり述べて政策金利を引き上げてこなかったのでしょうか?
この理由を説明し、次が最後の利上げになるだろうと思う理由を説明しています。最後の利上げを市場が理解すれば最後の利上げを契機に円は暴落、長期金利は暴騰、物価高はとめどもなく高騰してしまうことになってしまいます。
それがマーケットというものです。
https://toyokeizai.net/articles/-/944018?display=b
2.「1997年に成立(小渕内閣の時廃案)した構造改革法案第2条で歯『財政は危機的状況にある』と歌っている」
昨日「26年も前の内閣府の「2001年度年次報告書」が財政赤字について かなりの警戒警報を鳴らした文章をSNSに書いたが、この4年前、橋本龍太郎内閣は「財政構造改革法案」を成立させました。この第2条には「財政は危機的状況にある」とあります。 ただ1997年は北拓、山一、三洋証券等がつぶれ財政再建どころではないと、この法案は骨抜きされ、小渕内閣の時に廃案になりました。 そのときの累積赤字は369兆円。現在1343兆円と3,6倍にも膨れ上がっています。GDPも3.6倍になっていれば、その時と同じ危険度(=危機的状況)ですが、GDPは2倍にもなっていないでしょう、 それでも破綻しなかったのは金融論がハイパーインフレを起こすので、禁じ手中の 禁じ手としているところの財政ファイナンス(政府の歳出を中央銀行が通貨を増発することによって賄う)を2023年に開始したからです。 しかし、金融論が教える通り、現在、刻々と円の価値が棄損(=物価高)していますし、最終的には日銀の信用失墜によるハイパーインフレとなるでしょう。そう遠い話ではない。金融論を馬鹿にするものではない。
3.「日銀に出口はあるか?」
以下のようなリツイー咎私のX にきた。
「日銀がこの混乱から抜け出すのに、他に何か方法はないんですか、サー?」
以下のように回答した。
「中央銀行は社会インフラとして必要不可欠なインフラですが現在の日銀に出口はありません。事態は刻々と悪化しています。
株価が崩れれば巨大債務超過でイチコロです。そんな中央銀行など歴史的にも聞いたことがありません。株式本位制の日銀のなれの果てです。
ここまで事態が悪化しているならば中央銀行と法定通貨を新しいものにとっかえるしか出口はないと思います」
4.元朝日新聞編集委員原真人さんの「深読み経済レター」
以下、本日の「深読み経済レター」
本日配信の「深読み経済レター」のテーマは、ホルムズ海峡危機に伴う石油の安全保障です。白黒パッケージのカルビーのポテチを批判する高市政権のトンチンカンはどこから来るのか。読み解いてみました。
5.「能登旅行」
先週の金・土・日は元オフコースの鈴木さんと林家木久蔵師匠、木久扇師匠のお弟子さんの林家希林師匠の (奇妙な)コラボ公演に同行した。会場は満席で、皆さん大変喜んでくださったようだ。
なお、林家麒麟師匠は体形がMBLの大谷翔平氏と全く同じ。でかい。元大関清国の息子さんだから当然か。
ちなみに友人から「同行したということは藤巻さんも出演したのですか?」と聞かれたので「私が出演すると、落語と歌で楽しくなりたい人が、帰りに,暗~い気持ちになっちゃうだろうし、前もって言っておくと来場者が減るだろうから共演などしません。私も大人だから。空気は吸うだけでなく読むこともできるんです」と返信した。
主催者のJAKO Holdingさんには宴会でのご接待を含め、大変お世話になった。
(写真は鈴木さん、木久蔵師匠、希林師匠と私)

6,「公演会場前広場」
公演会場は西田幾多郎記念哲学館。安藤忠雄氏の設計で素晴らし建物だったが展示も非常に素晴らしかった。
会場の前では JAKO Holdingさん所有のフォークリフト、凍結防止剤散布車の他の消防車、パトカーの展示もあった。
消防士さん、警察官の募集目的もあるようで、降車後「知り合いの方に声をかけてくださいね」と人材募集パンフレットを渡された。
「私75歳なんですけどダメですか?」と聞いたら、笑いながら「駄目です」と即答された(笑)。
そりゃそうだろう。火事場に行ったら取り残されて一番最初に焼け死にそうだし、泥棒捕まえようとしても一発でKO 負け食らっちゃいそうだから。

7.「普段は夜4回行くトイレが2回で済んだ」
公演会の同行旅行の 一泊目は私共2人だけで近くの温泉宿へ。渚を宿の送迎者で走ってもらい楽しかった。昔、企業の保養施設だったので快適 (温泉も良かった)。

ただ皆と一緒に泊まった2なぎさを日目の宿には正直参った。
タクシーさんから「あそこはこのあたりでは一番いい旅館だよ」と聞かされていて期待していたのでショック。
我々は他のところで宴会だったので食べなかったのだが割烹は一流のよう。タクシーの運転手さんが「一番いい」と言ったのは割烹の方の様だ。
宿の方は 4畳半くらいの部屋で布団を2枚敷いたら部屋いっぱい(これはOK )。
しかしトイレも洗面台も皆で共用。 洗面台は共同トイレの中での共用。おかげで普段は夜中に4回行くトイレが2回で済んだ。トイレまで行くのがひと仕事なので体が無意識のうちに順応したようだ(苦笑)。
「でも昔はこんな生活だったよな。三井信託の西船橋寮と同じだよな」と思いだした次第。
ちなみに当時の信託銀行の独身寮は個室で、何人かで一部屋をシェアする都銀の独身寮より良いというのが売り物だった。
8.「日吉の和式男女共用トイレ、共用洗面所のトイレのアパート」
共用トイレ、共用洗面所の話を書いたが、私の生みの母は私が3歳の時に亡くなった。父は私と妹を母の実家に預け、平日は日吉のアパートを借りて住んでいた。
確かマムシ谷と言われる場所の近くだった。小学校低学年の時には土・日によく父のところに泊まりに行った。日吉はまだ田舎でアパートは田んぼに囲まれ、その田んぼにはザリガニやお玉じゃくしが五万といた。
そのアポートは4畳半。男女共用和式共同トイレで共同洗面所だったのをよく覚えている。
父は慶応大学経済学部卒の東芝に勤めるホワイトカラー、30歳少し超えたくらいだっただろう。70年前の独身(?)サラリーマンの生活はそんなものだった。
もしこれからハイパーインフレがくれば日本人はしばらくそんな生活に耐えなければならなくなるのかもしれない。


